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日蓮大聖人・池田大作

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「創立の月」と学会精神 わが使命は勝利! 大東京

2003.11.4 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  「革命とは、人類の覚醒である」とは、中国革命の父・孫文の有名な言葉である。(中国社会科学院近代史研究所中華民国史研究室・中山大学歴史系孫中山研究室・広東省社会科学院歴史研究室編『孫中山全集』9、中華書局)
 彼は言い切った。
 「人びとが、自分を救えるものは自分しかいないと自覚して立ち上がれば、大きな力が生まれる。この目覚めた人民の大きな力があれば、いかに巨大な抵抗勢力があっても、打ち破り、勝つことができる」と。(同前)
 十一月は、わが創価学会の「創立の月」である。
 一九三〇年(昭和五年)の十一月十八日、牧口初代会長、戸田第二代会長の師弟によって、わが創価の城は、東京で誕生したのであった。
 「創立の月」とは、新しい歴史を“創る月”である。
 正義の師子が猛然と“一人立つ月”でもある。
 単なる過去を回顧する節目ではない。「創立の月」は、古い年表のなかに眠っているものでは決してない。
 広宣流布とは、瞬時の停滞も許されぬ、絶えざる創造と、戦闘の前進の歩みである。
 「創立の月」は、常に「今この時」にある。今の瞬間、瞬間を勝ち取ってこそ、次の五十年、百年にわたって崩れぬ、常勝の学会が「創立」されていくからだ!
 この十一月に、自分自身の新しい歴史を塗り替えていくのだ! 古い殻を破り、生まれ変わる月だ!
 限界の壁を叩き割り、雄々しく一人立ち上がる月なのだ!
2  約百年前、今の「文化の日」である十一月三日に、牧口先生が東京・北区の王子・滝野川方面に足を運ばれていたことが、新たに確認された。
 北海道から東京に出られて数年、女性の通信教育に先駆的に尽力された牧口先生は、「観楓会」と銘打ち、受講生たちと共に有意義な文化の催しを行われたのであった。
 ともあれ、「創立の月」である十一月は、本陣・大東京を舞台に、黄金不滅の学会精神の歴史が、幾重にも刻まれている。
 特に昭和三十二年の十一月八日、我らが東京で開催した秋季総会を、私は忘れることはできない。
 当時、学会は破竹の勢いで発展を続け、戸田先生が生涯の願業とされた折伏七十五万世帯の達成も、もはや目前となっていた。会場は、明るい秋の日差しに包まれていたが、戸田先生の顔色は青く見えた。ひどくお疲れのご様子だった。
 この日の総会には、新聞や雑誌などの取材陣が殺到していた。既に学会は、社会から、偏見に満ちた視線に晒されていたのである。
 しかし、わが師は、いつものように、悠然として、会長講演に立った。
 先生は学会の大発展の理由について、あれこれ詮索した、軽薄なマスコミ報道を、一刀両断された。
 「学会には信心がある。御本尊の功徳から、みな出たものじゃないか。それに気がつかないのだ!」
 「ただ信心が中心! 信心をやるんです。それさえ腹に入れたら、誰が何と書こうと、何を言おうと、驚くことなどは絶対にないだろう!」
 まさに、百獣のわめき声のごとき批判を圧倒する、王者の獅子吼であられた。
 「嘘をこっぱみじんに打ち砕け!」(『ロベスピエール』宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』10所収、みすず書房)と、文豪ロマン・ロランは書いた。
 世間からどう見られようが、恐れてはならない。踊らされてはならない。学会には厳然たる信心があるのだ!
 ──それは、ここ本陣の大東京から、全同志に叫び残された戸田先生の遺言であった。
 この日が、わが師が生前に出席された、最後の本部総会となったからである。
3  戸田先生は、一日に幾度となく、私を呼ばれて、暇さえあれば、信心のこと、人生のこと、将来の構想のことなど、様々な展望を語り、遺言されていた。
 不二の弟子にとって、師と共に、広宣流布の未来を語るひと時は、最高無上の幸福であった。語っても語っても、尽きることがなかった。
 しかし、先生は、この昭和三十二年の秋ごろから、学会本部におられる時も、二階の会長室には行かずに、一階の応接室のソファで身を横たえていることが多くなった。私は、衰えゆく師の身体に苦悩しながら、ご健康を懸命に祈りながら、師弟の対話の時間を宝としていった。
 本部総会から、一週間後の十一月十五日のことである。私は応接室で、種々ご指導をいただいた。師の目が鋭く光った。
 「ひとたび広宣流布の戦を起こしたならば、断じて勝たねばならない。戦いを起こして負けるのは、男として最大の恥である」
 その一言は、今もって耳朶を離れない。

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