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日蓮大聖人・池田大作

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燃える「先駆」の魂 大九州よ

2003.10.11 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  先月、私は、南米ペルーの名門「国立ホルヘ・バサドレ・グロマン大学」から、栄えある名誉博士号を頂戴した。
 さらに、この八日には、中国の「西北師範大学」より、厳粛な式典のなか、名誉教授の称号を受章した。
 これで、世界の大学・学術機関からの名誉博士、名誉教授等の栄誉は、百四十五を数えることになる。
 なかでも、ペルーから"知性の勲章"を頂いた式典には、わが九州青年部の代表も、凛々しき顔で列席してくれていた。
 同大学があるタクナ市は、ペルーの一番、南にある。
 日本とペルーは、太平洋を挟んだ"隣人の国"である。ともに南方に位置する九州とタクナに、尊い友情が結ばれたことに、私は深い感慨を覚えてならない。
 タクナは、スペインからの独立運動が始まった"革命の電源地"である。
 しかし、独立後の十九世紀後半、ペルーはチリとの紛争に敗れ、ここタクナは、チリの支配下に置かれた。祖国への愛国心を表すことも、厳しく禁じられた。
 だが、タクナの強き民衆は、絶対に屈しなかった。そして、一九〇一年、ペルーの独立記念日には、国旗を高々と掲げ、誇り高く町中を行進したのである。
 その堂々たる絢爛の姿は、治安にあたるチリの兵士たちの心をも激しく動かした。
 ペルー国旗の行進が近づくと、チリの兵士たちは取り締まるどころか、タクナの人びとに敬意を表して、軍帽を脱いだのであった。
 いかなる相手も恐れるな。むしろ敵をも脱帽させるほどの、偉大な魂の闘争を開始しゆくことだ。
 「緊張感を持って生きるということは、常に生産し、創造し、成長し、勝利するということである」
 これが、ホルヘ・バサドレ・グロマン大学の名前の由来となった、バサドレ博士の大確信であった。
 私は、この言葉を、明年へ五十万人の正義の連帯を築かんと、悠然と立ち上がった、わが大九州の青年部に贈りたいのだ。
 どうか、あの絢爛と歴史を残したタクナの勇敢なる民衆の如く、見事なる先駆の舞と劇を成し遂げてくれ給え!
2  私が、最初に憧れの大九州を訪問したのは、忘れもしない一九五六年(昭和三十一年)の三月五日であった。
 関西に、広宣流布の勝利と栄光の金字塔を打ち立てた、大阪の法戦の渦中のことであった。その激闘のなかで、時間をこじ開け、福岡の八女を訪問したのである。
 私は、大法戦の新たなる流れを開くには、まず九州が絶対に立っていかねばならないと、深く考えていた。
 牧口先生も、戸田先生も、幾度となく、九州に足を運ばれた。それは「日本、また東洋の広宣流布の大波は九州から!」との、深いご確信であったからだ。
 私は、初代、二代のお心を思いながら、先駆の使命ある九州の同志に訴えた。
 「団結がすべての要です。団結がなくては勝利はありません。"法華経に勝る兵法なし"といって、私たちは必ず勝てる兵法をもっています。あとは、どこまで心を合わせるかです」
 団結とは、一人ひとりが、自分が広宣流布のいっさいの責任をとるのだと、自覚することから始まる。
 広布のためにはいつでも、どこへでも飛んで戦おうという、決意と行動の総和が団結力である。
 「我胸の 燃ゆる思ひに くらふれは けむりはうすし 桜島山」とは、幕末の志士・平野国臣の有名な歌である。
 噴き上げる桜島の噴煙さえも、まだうすい。わが胸の燃ゆる思いを見よ――これが、広宣流布の大使命に生きる、九州の同志の情熱だ。
 人を燃え上がらせるには、自分自身が燃えることだ。それでこそ、炎と炎が合わさった、無敵の団結の火の玉で戦うことができるからだ。
3  わが師・戸田先生が逝去された翌月にも、私は、九州の大地を踏んだ。一九五八年(昭和三十三年)の五月のことである。
 久留米市での男子部、女子部の九州総会。私は、男子部に、こう訴えた。
 「願わくは、九州の健男児は、九州広布のみならず、青年部を代表して、東洋広布の先駆者であっていただきたい。私は、心から皆様の活躍を切望するものであります」
 創価の中軸であられる戸田先生を失った学会は、必ず空中分解するだろうとの憶測や批判が、黒く、大きく渦巻いていた。しかし、私は一人、人類の希望の太陽である創価学会を守り、断じて、これらの黒き暗雲を打ち破ると、深く決意していた。
 私は一人、断固として立ち上がった。民衆の幸福のために、絶対に一歩も引くことは許されないと、深く誓っていた。
 意気地なし、恩知らず、そして臆病者は、あちらこちらから去っていった。いわゆる忘恩の輩であり、今はみじめな敗残兵となり、哀れな姿となっている。
 仏法はどこまでも勝負だ。我らは勝った。
 私と共に、九州の同志も立ち上がってくれた。
 二週間後、福岡・香椎球場で行われた第二回の九州総会にも、私は出席し、烈々たる気迫で叫んだ。
 ――先駆の九州たれ!

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