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日蓮大聖人・池田大作

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中部五十年──大勝の源流 我が堅塁は強し 民衆の平和城

2003.10.6 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  アメリカ合衆国の第三十五代大統領ケネディは、世界的に、知らない人はいないくらい有名な大統領であった。
 私との会見を希望されているとの連絡も受けた。その会見は実現できなかったが、やがて弟のエドワード氏(上院議員)が、わざわざ東京の聖教新聞社においでくださった。亡き兄上のことなどを語り合ったことが、今もって懐かしい。
 そのケネディは、米国では少数派のカトリック教徒であったことから、大統領選挙の折には、いわれなき中傷も受けた。しかし、大統領になった彼は、堂々と言った。
 「それぞれの大統領はさまざまの宗教的背景の出身者であり、さまざまの宗教的信仰をいだいていた」(ウェスレイ=ピーターセン編『ケネディの遺産』講談社)
 信仰は政治家としての毅然たる行動を弱めるどころか、むしろ奥底において強め、支えたのである。さらにケネディは、自信をみなぎらせて言い切った。
 「知的にもっとも強かった大統領は宗教的にももっとも強かった」(同前)と。
2  今月、新しき中部創価学会の大殿堂が、天下の名城・名古屋城の側に、正義と栄光の”一番星”の光に輝きながら完成する。
 なんと嬉しき、「中部広布五十周年」であろうか!
 私は「中部万歳!大勝利万歳!」と叫びたい。
 「中部」と聞くと、私はスイスの哲人ヒルティの言葉が思い出されてならない。
 それは、「人間が大きな進歩をするための道は、いつも苦しみによって開かれなければならない」(秋山英夫訳編『希望と幸福』社会思想社)という深き人生観の一節である。
 さらにまた、「苦難はひとを強くする」(同前)との、雄々しき名言が、胸に迫るのである。
 おお、偉大な中部よ! 幾つもの暗黒の嵐を乗り越え、勝ち越え、堂々たる勝利者の姿で、日本列島の中心にそびえる愉快な民衆城よ!
 この強き強き堅塁は、いかなる苦難の烈風にも、悪掠な権力の迫害にも、断じて崩されないであろう。
3  それは、五十年前の一九五三年(昭和二十八年)のことである。
 寒風が吹きつける十二月の十二日、私は、初めて名古屋に降り立った。
 わが師・戸田先生の名代として、岐阜に大事な所用があっての訪問だったが、私は、もう一つ、深く心に期すところがあった。
 前年の八月、戸田先生を迎えて中部初の地方折伏が行われてより一年四カ月。たった一人から始まった同志は増えてはいたが、首都圏や大阪の勢いに比べると、全く牛歩の足取りだったのである。
 この壁を必ず破る! 今こそ中部の広宣流布の突破口を開くのだ!
 これが二十五歳の私の決心であった。
 その晩、私は、数人の派遣幹部と共に、名古屋班の座談会に出席した。名古屋市東区にあった寺が会場で、参加者は七、八十人ほどであった。
 私は、まだ信心の日の浅い中部の同志に、自分の信仰体験を誠実に語っていった。全員が広布の英雄として決起してほしかった。
 やがて質問会となり、一人の青年が口を開いた。
 「ここは念仏が多くて、なかなか折伏が進まないのですが……」
 その瞬間、私は、火を噴く大情熱で言った。
 「全国どこでも条件は同じです。やりやすいところなどありません。”名古屋だけ折伏はできない”と思っている、そのこと自体が、できない原因なのです!」
 電撃に打たれたように、満座の空気が変わった。青年の目にも、同志の目にも、消えることなき光が走った。
 条件がどうとか、環境がどうとか、情勢がどうとかではない。あれこれ論ずる前に、自分自身の一念がどうかである。本気で戦う炎が燃えているかどうかである。
 ”行き詰まり”の元凶は、外ではない。自分の心の中にある。どうせできないと決め込むのは、自分の惰弱な心に負けている姿だ。その己心の「一凶」を断つことだ!

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