Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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旭日の千葉の船出 進もう!

2003.9.27 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  民衆詩人ホイットマンは、雄々しく歌った。
 「船を出そう――深い海しかめざしてはならぬ、
 危険を恐れず、おお魂よ、探検をつづけよう」
 「おお、先へ先へと進んで行こう」(『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 今、我らは、心を一つに、「二十一世紀の広宣流布」という平和の大航海へ、決然と船出した。
 我らの願いは、つまり創価学会の根本の目的は、「立正安国」である。世界の平和と民衆の幸福を、断じて実現しゆくことである。
 日蓮仏法は、「広宣流布の宗教」である。「我もいたし人をも教化候へ」と仰せの通り、力の限り正法正義を拡大する宗教であるのだ。
 そのために、まず汝自身が「正義の旗」を掲げ、今いるその場所で一人立つことだ。怒濤の如く、正義と勝利の言論戦を起こすことだ。
2  それは、第三代会長に就任して間もない、一九六〇年(昭和三十五年)の七月のことであった。
 私は、千葉の犬吠埼に立ち、黒潮逆巻く大海原を見つめた。男子部の人材グループ「水滸会」の野外研修のためである。
 この海の彼方には、世界平和の第一歩として、私が広布の闘争を開始するアメリカ大陸がある。その太平洋の旭日を浴びながら、前途を開きゆく青年たちと研修を行いたいと、私が自ら選んだ場所が犬吠埼であった。
 戸田先生が命を削るようにして鍛えてくださった、伝統の水滸会である。師の尊き遺志を共に継いで、私と共に広宣流布の全責任を背負い、奮闘してほしかった。
 しかし、犬吠埼に着いたメンバーは、どことなく気の緩んだ空気が漂っていた。
 予定では、キャンプファイアーを囲んで、皆で夕食をとることになっていた。
 ところが、その準備が大幅に遅れ、食事係の青年たちは悪戦苦闘中であった。
 それなのに、気楽に雑談にふける者や、食事係を責めるばかりで自分は何もしない、無責任な幹部も多くいた。
 困っている同志を助けようともせず、“あれは、彼らがやることだ”と言わんばかりの浅ましい姿であった。
 さらに地元・銚子の健気な同志が、私に一目会いたいと訪ねてきても、応対した幹部は、今日は水滸会の研修だから駄目だ、駄目だと、横柄に言い放っていったのだ。
 何が幹部だ、それでは下郎の根性だと、私は怒りがこみ上げてきた。情けなかった。心から憤慨した。
 苦闘の友を眼前にしながら何の行動も起こさぬ、無慈悲の人間が集まって、何のための研修会か!
 最も尊貴な仏の使いである創価の同志を大切にし、真剣に守らずして、何のための広宣流布だというのか!
 それを、幹部面だけは一人前の、無責任な傍観者、威張った官僚主義者が増えれば、学会の内側は滅びる。
 「まるで“敗残兵”ではないか!」
 私は、深く期待するがゆえに、水滸会のメンバーを厳しく叱咤した。
 「今日の皆の姿からは、広宣流布への責任感も、求道の息吹も感じられない。戸田先生が今日の様子をご覧になったら、なんと言われるか。先生との誓いを忘れ去った『水滸会』は、もはや烏合の衆に過ぎない」
 一番、苦労している民衆のために学会はある。広宣流布といっても、その民衆を徹して励まし、力づけていく労作業のなかにあるのだ。
 ゆえに「一人」を大切にし抜くことだ。民衆を苦しめるあらゆる邪悪を倒す、正義の炎を燃やし抜くことだ。そこにこそ「立正安国」の確かな軌道があるからだ。
3  あの時、私は、一人、水滸会の研修の場を離れ、集われた多数の銚子の同志たちのもとへ足を運んだ。
 数十人の方々が待ってくださっていた。日に焼けた漁師の方も、お子さん連れのご婦人もおられた。
 皆、健気であった。皆、真剣であった。皆、戦う創価の誇りが輝いていた!
 浜辺に寄せる太平洋の波音を聞きながら、この庶民の英雄たちと親しく、また楽しく語り合ったひと時は、生涯、私の胸から離れることはないだろう。今も一幅の名画の如く映し出されるのであった。
 安房の国・千葉に聖誕された大聖人は、御自身のことについて、「民が子」「民の家より出でて」「貧窮下賤の者と生れ」等と、貧しい庶民の出身であることを、誇りも高く宣言された。そして、民衆のなかから、法華弘通の大法戦に立ち上がった崇高な使命と力を、こう断言されたのだ。
 「日蓮賤身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにも・すぎたりと見えたり
 この御心を受け継ぐ大聖人の正統こそ創価学会だ。
 「貧乏人と病人の集まり」――学会は、過去、どれだけこうした冷笑を浴びせられ続けたことか。
 しかし、我らは、その悪口罵詈をも笑い飛ばした。
 苦悩の人を救うのが宗教の使命ではないか。最も不幸な人を幸福にしてこそ、力ある宗教ではないか! 学会の代名詞となった悪口さえも、我らは名誉の勲章として、叩かれれば叩かれるほど、いよいよ闘魂を燃やし、民衆の海の真っただなかへ飛び込んでいったのだ。
 この誇りが学会魂だ! 我らは、常に誇り高く戦い、前進また前進してきたのだ。
 戸田先生は言われた。
 「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
 その通りである。信心の炎は、自分のことだけで汲々とした小さな境涯を打ち破る。友の勝利が、わが勝利であり、わが勝利が友の勝利である。
 どこそこで、あの友が苦しんでいる。かの地域で仲間が奮闘している。そう聞けば、わが事のように祈る! 自他共の完勝のため、そこへ駆けつけ、共に戦う!
 この熱烈な同志愛があればこそ、あらゆる大難を乗り越え、学会は勝利し、また勝利してきたのだ。
 私は知っている。
 千葉の同志には、借しみなく世界に光を送る、あの赫々たる太陽が燃えている。
 最も戦いが大変な場所に、常に、勇んで駆けつけては、勝利の突破口を開いてこられたのが、千葉の皆様方であったからだ!
 嬉しいことに、旭日の千葉の興隆を祝うかのように、今春には木更津文化会館、夏には佐倉文化会館が相次いでオープンした。千葉、船橋、松戸、市川、柏の「五大都市」も、草創の人材群と新しい人材群が見事に呼吸を合わせ、妙法流布の進撃を開始している。市原、成田、浦安等でも、友の躍進は目覚ましい。
 なんと偉大な千葉よ!
 なんと明るい千葉よ!
 今、まばゆいばかりに、異体を同心として驀進しゆく、わが千葉の八つの総県の姿は、まるで八葉蓮華のごとく光っている。

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