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日蓮大聖人・池田大作

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わが師弟共戦の誉れ 戦い勝った青春に悔いなし

2003.9.4 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  「勝とうと挑戦する人は、すでに勝利している」(Obras Completas Jose Marti, Editorian Nacional Cuba)
 これは“キューバの使徒”と讃えられる、世界的に有名な革命家ホセ・マルティの言葉である。
 私は、一昨年の八月二十四日、キューバの著名なマルティ研究家であるビティエール博士と共に、この英雄の生涯を語り合った対談集『カリブの太陽 正義の詩』(潮出版社)を発刊した。大変に反響が大きく、驚いた。
 今年は、キューバの独立のために戦い、大革命の途上に四十二歳の若さで散った、このマルティの生誕百五十周年であった。
 ヴィティエール博士と深く一致していった頂点は、若き日の“師弟の誓い”を生涯忘れなかったのが、マルティの偉大なる証明の一つだということであった。
 彼が十五歳の時、教育者であり師匠であるメンディーベ先生が、圧制者への抗議のゆえに投獄・追放された。
 その時、マルティは師匠の夫人に毅然として語る。
 「心配なさらないでください、奥様。私が敵を討ちますから!」(Gonzalo de Quesaday Miranda, Asifue Marti, Editorial Gente Nueva)
 私が、僭越を承知で、この有名な話を紹介すると、ビティエール博士は、即座に、まことに印象深いエピソードを教えてくださった。
 二十数年後、激しい独立闘争の渦中にあって、マルティは、少年時代に瞼に焼き付けた、師メンディーベ先生の姿を鮮やかに思い起こすのであった。
 それは、「キューバの処刑台で命を落としていった者たちについて話すとき、激高して椅子から立ち上がり、顎鬚をふるわせていた」、彼の姿であったというのだ。(Obras Completas Jose Marti, Editorian de Cuba)
 “同志を弾圧し、死に至らしめた悪逆の権力は断じて許さぬ”――師には、烈々と燃え上がる「正義の怒り」があった。
 若き弟子マルティは、その魂の炎のバトンを、生涯、高く掲げ抜いて、仇討ちをしたのである。
2  ヴィティエール博士の切々たる話を聞きながら、私の魂には“妙法の巌窟王”であられた、わが師・戸田城聖先生の勇姿が二重写しになって大きく広がった。
 先生は、師である牧口初代会長のことになると、「思い出すことが多くて、話が止まらなくなる」と、笑みを浮かべて語ってくださった。
 “牧口先生は謹厳実直な方であった。私はルーズだ。先生のお住まいは目白、私は目黒である。先生は非常な勉強家で、私はさっぱり勉強せぬ……”
 このように、ご謙遜とユーモアを交えながら、お二人は正反対の性格だったと言われることもあった。 
 それでいて、「境地がピッタリ一致していた」と断言される先生であった。
 まさに、個性においては、好対照の「二」にして、広宣流布に戦う生命においては、偉大な師と弟子は、厳として「不二」であられた。
 戦時中、あの軍部政府の大弾圧により、牧口先生と共に投獄されても、不二の弟子は微動だにしなかった。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」
 なんという、尊くも麗しき、人間の究極たる師弟の血脈よ!
 牧口先生の三回忌の折に、お写真を、涙を流して見つめながら、戸田先生が万感込めて語ったあいさつである。
3  その偉大なる戸田先生は、師の獄死に回想が及ぶと、柔和な表情を一変され、激高されるのが常であった。
 「日本の国家主義は、牧口先生を殺した! 偉大な国の宝を、国賊のように獄死させたのだ!」と叫ぶように言われる目には、涙がにじんでいた。
 牧口先生が、いかなる罪を犯したというのか。
 国家悪の暴走を、わが身を捨てて防ぎ止め、民衆を救おうとされた正義の勇者こそ、先生ではないか!
 また、戸田先生の正義の怒りは、国家権力の魔性に向けられただけではなかった。
 戦時中、臆病な宗門は軍部政府に屈服し、御書の要文を削除し、神札を祭った。
 戦うべき時に戦わないばかりか、牧口先生をはじめ幹部が逮捕されるや、かかわりを恐れて登山を禁止するなど、学会を切り捨てた。
 「日蓮が一門は師子の吼るなり」と宣言された、大聖人の正義の魂を、宗門は浅ましくも放棄したのだ。
 戦後、戸田先生は、広宣流布の聖業を断行するために、その宗門をも包容していかれたけれども、傲慢な悪坊主や宗門の堕落を激烈に呵責され続けたことは、皆様もご存じの通りである。

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