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日蓮大聖人・池田大作

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「戸田大学」への感謝 師の魂の叫び 今も我が胸に

2007.7.30 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  「人が真に教育家なら笑っても教育になる」とは、著名な学者であり、国際連盟の事務次長も務めた新渡戸稲造先生の言葉である。(『自警録』講談社学術文庫)
 「(その人物の)一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない」(同前)
 わが師弟不二の学舎である「戸田大学」でも、師の一言一言が、また振る舞いの一つ一つが、すべて意義深き人間教育であった。
 恩師・戸田城聖先生の厳愛の教育なくして、私の現在はありえない。
 今回も、無量の感謝を込めて、さらに「戸田大学」について綴り残しておきたい。
2  一九五二年(昭和二十七年)の五月から、市ケ谷ビルにある私たちの会社の事務所を教室にして、「戸田大学」の新たな講義が開始された。
 ここでは、始業前に、経済、法律、化学、天文学、漢文など一般教養のほか、時には教学の特別講義も行われた。
 戦時下の牢獄で痛めつけられた師の体には、毎朝毎朝の講義は、相当の負担であったにちがいない。しかし、先生は、広宣流布のために、分身の弟子を未来に残さんと、命がけで講義を続けてくださった。
 何に命をかけるか、そこで人間の価値が決まる――これが、先生の信念であられた。
 有名な「佐渡御書」には、「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし」と仰せである。
 「成仏」と「広宣流布」という人生究極の勝利のためにこそ、命を投げ出すべきだとの御聖訓である。
 確かに、なぜこんなことで人生を狂わせたのかと思うような悲喜劇が、世間にはあまりにも多い。
 仏法に中途半端はない。最後まで戦い抜いた人のみが真実の永遠の勝利者である。
 もとより戸田先生は、広宣流布の大聖業に命を捧げられていた。なかんずく、創価の「勝利の魂」を受け継ぐ青年の育成に、ご自身の全生命を注がれたのである。
 早朝講義は、まず朝に勝つことが戦いであった。
 前日の夜が、いかに仕事や学会活動で遅くなろうとも、出勤時間には、非常に厳格な師匠であられた。
 市ケ谷駅から市ケ谷ビルまでは、駆け足で数分ほどの距離である。ビルの階段を、段を飛ばして駆け上がり、息せき切って二階の事務所へ急いだことも、幾度となくあった。
 それでも講義の定刻に出社できず、先生よりも遅れてしまうこともあった。
 重いドアを開けると、師の眼鏡の奥が鋭く光った。
 「待ちぼうけだよ」
 その一言は、百雷の叱責よりも厳しかった。
 先生は真剣であられた。そのお心に真剣に応えなければ、何が弟子であろうかと苦しんだ。ゆえに、私は、講義が回を重ね、月日を重ねるごとに、師との二度とない魂の儀式として、いよいよ決意を深くして、真剣に、また確実に受講したのであった。
3  「戸田大学」では、受講中に、メモを取ることは許されなかった。
 「命に刻め!」「生命で感じ取れ!」というのが、師の厳しき訓練であられた。
 幾十年の歳月を経た今でも、ある日の朝の光景が蘇り、そして私の胸には、偉大なる師の教訓が昨日のように鳴り響くのであった。
 先生は、他の弟子たちに、「大作は海綿のようによく吸収するな」とも、「鋼の板に刻むように覚えているな」とも言われていたようだ。
 先生の講義は、仏法の真髄を学ぶ教学はもちろん、専門的な学問においても、単に、断片的な知識を詰め込むような教育ではなかった。
 弟子の知識を豊かに広げながら、生き方の"核"となる哲学を育まれたのである。
 「現代人の不幸の一つは、知識と智慧を混同していることだ」とは、先生のまことに深いご指導である。
 「知識が即、智慧ではない。知識は智慧を開く門にはなるが、知識自体が決して智慧ではない」と強調された。特に仏法の智慧は、慈悲と一体である。
 今日の社会を見よ! 知識はあっても、現実の荒波に立ち向かい、民衆を守り抜く智慧も勇気も慈悲もない、エリート面した冷酷な臆病者がなんと多いことか――と、大学者である先生の呵々大笑される姿が目に浮かぶ。
 さらに、知識を悪用し、嘘で塗り固めた言論の暴力で民衆を苦しめる、畜生さながらの悪党も少なくない。この転倒を絶対に正さねば、民衆の真の幸福は永遠にありえない。
 だからこそ、創価の菩薩ともいうべき、正義と英知の民衆リーダーが、世界に躍り出なければならないのだ。

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