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日蓮大聖人・池田大作

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師弟の誓いの天地・氷川 君よ新社会建設の英雄たれ

2003.7.23 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  吉川英治の『三国志』といえば、恩師・戸田先生と共に学んだ、一生涯、忘れることのできない名作である。作中、劉備の母が我が子を叱咤する場面がある。
 「正しい道のさまたげにも、自分自身を時折に襲ってくる弱い心にも打ち克たなければ、所詮、大事はなし遂げられるものではあるまいが」(古川英明責任編集『吉川英治全集』24、講談社)
 ここを皆で読んだ時、戸田先生は、「その通りだ。よく覚えておけ」と、私たち青年に火花を放った。つまり、己自身の“心中の賊”に打ち勝つ勇者にあらずんば、’三類の強敵と戦い、広宣流布の,「大事」を成し遂げることなど絶対にできない。
 ”広宣流布の世紀の旗は、我が愛弟子である青年に託すのだ!”
 この師匠の魂を我が血潮とした青年の中核こそ、男子部の人材グループ「水滸会」であった。
 水滸会は、昭和二十七年の暮れに発足したが、いつしか惰性が兆し、師の烈火の叱責を受けて頓挫した。戦う覇気なき弟子は去れと、師はまことに厳しかった。
 水滸会が私の人選で結成し直し、新出発したのは、ちょうど五十年前の七月二十一日であった。その際、皆で三カ条の誓いを立てた。
 「水滸の誓」である。
 それは、“御本尊に対する誓い”“師匠戸田先生に対する誓い”“会員同志の誓い”であった。御本尊を根本とする師弟の絆で結ばれた、異体同心の究極の生命こそ、水滸会の実相であったのだ。
 以来五十星霜――。
 この間、見栄と臆病から青春の誓いを捨て去った裏切り者もいた。誓いは生涯貫いてこそ本物である。真の誓願の人と、彼ら敗残の徒輩とは、因果の理法に照らし、その勝敗の実像は誰の目にも明らかだ。
2  水滸会では、その名の由来ともなった『水滸伝』など、古今東西の名作を読み合い、戸田先生から珠玉の将軍学の直接指導を受けた。月二回ほどの通例の勉強会は、学会本部などで行われていたが、ある時、戸田先生は笑顔で言われた。
 「いつものような屋内での会合ではなく、たまには自然のふところに抱かれて浩然の気を養う、伸び伸びとした野外訓練を行ってはどうか」
 皆、大賛成である。早速、場所探しに奔走し、風光明媚な奥多摩にある氷川のキャンプ場に決定した。水滸会の第一回野外研修が行われたのは、昭和二十九年の九月四日、五日であった。
 学会本部のある信濃町からバス二台で出発。私は、戸田先生と共に一号車であった。
 途中、八王子を通った時、車窓に武蔵野の大地を眺めながら、先生が言われた。
 「いつか、この方面に創価教育の城をつくりたいな」
 師が未来のために口にした言々句々を、弟子は鋭く生命に刻みつけた。
 氷川には午後六時ごろに着いた。直ちにテント、バンガローの割り当てを行い、炊事班が“豚汁”等の食事の用意をしてくれた。
 キャンプファイアーをたき、先生を囲んで食事が始まった。渓谷に夜の帳が下り、木々の影の彼方には、悠遠の宇宙が広がっていた。
 師と共に語り過ごす、弟子の喜びは限りなかった。
 世代間の対立、理性と感情の問題……青年ならば、必ず突き当たる課題についても、先生は、一つ一つ明快に指導してくださった。
 青年の魂に「使命の自覚」という炎を、赤々と点火できる指導者は稀有である。
3  氷川の渓谷に、戸田先生の烈々たる声が響いた。
 「不思議なことを言うようだが、今夜は、はっきりと言っておこう。今日から十年後に、みんなそろって、また、ここへ集まろうではないか。私はその時、諸君に頼むことがある」
 師弟の約束である。感動が電撃となって走った。
 思えば、この十年前、軍部政府の弾圧により、先生は獄中にあり、高齢の牧口初代会長は獄死した。その先師の仇討ちを誓い、戸田先生が出獄して、ここに足かけ十年――。
 有名な信玄と謙信の“川中島の合戦”に寄せた、頼山陽の詩には「遺恨なり十年一剣を磨き……」(『頼山陽詩抄』頼成一・伊藤吉三訳註、岩波文庫)とある。
 今、先生が錬磨される広宣流布の「宝剣」とは、青年にほかならない“「十年後に集おう!」と言われる真意は、私には明白だった。先生は、新たな社会建設のために、本格的な政治改革、教育改革の大構想をば、私をはじめとする青年に託そうとされていたのである。

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