Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間共和の輝く足立 民衆は偉大! 我らは勝ちたり

2003.5.8 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  「歴史にとって必須の人間たちは、英雄たちではなく民衆である」
 これが、フランスの歴史家ミシュレの叫びであった。
 民衆こそ、歴史を創り、時代を動かす真の主人公であり、真の英雄である。
 広宣流布とは、民衆が立ち上がり、平和と幸福に輝く「人間共和の新世界」を建設しゆく壮大なる挑戦といってよい。
 学会草創期より、蒲田支部や大阪支部などとともに、この広宣流布の大電源地となってきたのが、誇りも高き、わが足立支部である。
 支部発足は一九五一年(昭和二十六年)の四月。戸田先生の第二代会長就任の直前であった。
 今の大足立の壮観からすると意外だが、最初は規模も小さく、当時の位置づけで"B級"の支部であった。
 しかし、慈折広布に燃える一騎当千の闘士の心意気は、どこにも負けなかった。
 あの晴れ渡る五月の三日、戸田先生が"広宣流布は私の手でいたします!"と、七十五万世帯の成就を誓願されると、先駆の門下の熱き血潮は沸き立った。
 翌年"二月闘争"では、私が支幹事として指揮をとった蒲田支部とともに、足立支部だけが、支部の目標を見事に突破したのである。
 やると決めたら、断固として貫き通す。広宣流布のために、自ら決めた目標ならば、あくなき執念で完遂する。これが足立の友の根性だ。だから信頼できる。
2  私が、初めて足立の会合に出席したのは、昭和三十年の春三月であったと記憶する。
 荒川に架かる江北橋を渡って訪ねた、支部長の藤田建吉さんのお宅での座談会だった。まだ、あちこちに田んぼが残る、のどかな風景であったことも懐かしい。
 老若男女、二百五十人もの尊き同志が賑やかに集っておられた。
 "この皆様こそ、経文通りに悪口罵詈され、軽賎憎嫉されながら、広宣流布の最前線を切り開いてくださる真の地涌の菩薩なのだ!
 今度はいつ来られるか、わからない。今、生命を振り絞って語り切っておくことだ。
 もっと、わが同志を励ます力を奮い起こそう! もっと、わが同志に、自信と勇気と希望を送っていこう!"
 私は、疲れのたまった我が身を叱咤しながら、懸命に激励したことを思い出す。
 翌四月も、私は、幾つもの重責を担う激務の合間を縫って、この庶民の町に走った。
 わが師・戸田先生も、足立の友を親しく励ましてくださった。西新井橋付近で、数百人の同志と野外懇談会を行われたこともあった。
 皆、貧しかった。だが、どの顔も、「戦わんかな」との、気概に満ち、「我らの力で社会を変革するのだ」と、猛然たる闘魂が漲っていた。
 学会は、どこまでも人間を愛し尊敬する。赤裸々な人間そのもの、民衆そのものに真実の仏法が光るからだ。ゆえに、この泥沼のごとき現実社会に躍り出て、正義を叫び、人びとの幸福のために汗を流すのだ。
 当時、学会へのいわれなき中傷は一段と激しさを増していた。
 裏付けの取材もせず、風聞と憶測で批判記事を掲載する新聞まであった。
 私は渉外部長として、新聞社を訪問しては、記事の不正と虚偽を糾した。悪は悪だと責め抜き、真実を明確に叫ばなければ、社会は闇に覆われてしまうからだ。
 イギリスの大詩人ミルトンは断言した。
 「真理と虚偽とを格闘させるがよい。真理は自由で公平な闘いにおいては、けっして負けることはない。真理は虚偽を論破することによって、どんな禁令よりも徹底的にそれを絶滅せしむるであろう」(トルストイが『文読む月日』上〈北御門二郎訳、筑摩書房〉の中で紹介)
 ともあれ、私と足立の共戦譜は、まさに、こうした激戦のなかに、不滅の金文字で刻まれ始めたのだ。
 師子奮迅した四月を大勝利で飾り、昭和三十年の五月三日を前に、私は日記に綴った。
 「終幕即開幕。烈火の如き一念を……」と。
 一つの戦いの終わりは、次の新たな戦いへの開幕にほかならない。広宣流布は、燃え尽きることなき連続闘争だからである。
3  わが足立支部の躍進は大河のごとく、日ごとに勢いを増し、水嵩を増していった。
 その溢れんばかりの生命力の奔流は大東京を潤し、やがて北は北海道へ、南は熊本、鹿児島へと、全国に幸福の緑野を広げたのである。
 たとえ他が一息つくような時でも、健気な足立の友は前進の歩みを止めなかった。
 誰が見ていなくとも、誰が誉めてくれなくとも、祈って動いて、また喋り抜いた。
 戦い抜けば、諸天善神も必ず動く。妙法は、絶対に勝てる法則なのである。
 一九五七年(昭和三十二年)三月、足立支部は、遂に二千二百六十六世帯の弘教をもって蒲田支部を抜き、堂々の全国制覇を成し遂げた。
 師と共に、悔いなく戦い、勝ちまくることは、弟子として、なんと最高無上の喜びであり、栄誉であろうか!
 以来、幾多の激戦また激戦を乗り越え、勝ち越えながら、名実ともに「東京随一の足立」となった。ということは、足立が「日本全体の原動力」になったということだ。
 そして、それは、足立こそ「世界の広宣流布の牽引力」なり、ということなのである。

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