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「大学新聞」の使命 学び抜け 叫び抜け 若き言論王よ

2003.4.29 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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1  この三月、私は創価大学で、創立者として、初めて「文化講座」の教壇に立った。
 第一回の講座のテーマは、私が青春時代より愛読し、恩師・戸田先生とも幾度となく語り合った、ドイツの大文豪ゲーテであった。
 卒業式を間近に控え、受講者には、学生時代の"最後の授業"となったメンバーも多かった。皆、喜んでくれたようで安心した。
 「有能な人は、常に学ぶ人である」(高橋健二訳『ゲーテの言葉』彌生書房)
 「文化講座」の終わりに、私は、このゲーテの言葉を学生たちに贈った。
 学ぶ人は偉大である。
 学ばない人は卑しい。
 そして、学ぶ人は"表現する人"でもある。充電と放電の関係といってもよい。貪欲に学ぶからこそ、沸騰するがごとく表現を欲する。
 ともあれ、何かを叫びたくて表現したくて仕方がないというぐらい、胸にたぎり立つマグマを抱えているのが、青春の特権かもしれない。
 正義と真実を求める情熱。
 邪悪と不正への激怒。
 高き理想に燃え立つ魂。
 そうした胸中のマグマは、やがて、やむにやまれぬ叫びとなって、轟音とともに炎を噴き上げる。
 だからこそ、ゲーテは「ほんとうに肺腑から出たものでなければ、けっして心から心へはつたわらぬ」(『ファウスト』大山定一訳、『ゲーテ全集』2所収、人文書院)と厳しく叫んだ。
 その生命からほとばしる特権の魂の炎こそが、人の心を揺さぶり、敵をも粉砕しゆく力となるのだ。
2  先日、創価大学の学生自治会の友が、紙面刷新された真新しい「創大学生新聞」を届けてくれた。
 入学式の直前に発行された最新号では、私の「文化講座」の模様が特集されていたが、平和とは、人生とは、学間とは――と真剣に考え、行動する学生たちの熱気が紙面から伝わってきた。
 言論戦のなかで、知識を磨き、知恵を磨き、実力をつけて、あらゆる正義の信念の筆の力を高め、強めることは、非常に重要なことだ。いな、絶対に必要なことだ。
 創大には、このほか新聞会刊行の「創価大学新聞」、学生平和推進委員会の会報をはじめ、数多くの新聞が刊行されていると伺った。
 たとえ粗削りであっても、理想に燃える学生の正々堂々たる言論は、若き読者の心を揺さぶり、キャンパスを活性化する。ひいては時代や社会を動かす力ともなろう。
 私自身、少年時代に、将来なりたいと思った職業は新聞記者であった。それだけに、若き正義の論陣を張る、銃弾ともいうべき紙面をもった今の英才の諸君は頼もしい。
 歴史的には、最初期の大学新聞は、アメリカ東部の大学で誕生したとされる。
 ダートマス大学の「ザ・ダートマス」は、一七九九年の創刊。また、十九世紀後半に生まれた工ール大学の「エール・デイリー・ニューズ」、コロンビア大学の「コロンビア・スペクテーター」等も有名である。
 以来、俊英の"学生記者"や"学生論説委員"たちが、正義のペンを思う存分、振るって戦っていった歴史はまことに尊い。
3  米国の人権運動家・キング博士も、母校モアハウス大学の学生の時、大学新聞「マルーン・タイガー」に「教育の目的」と題する論文を発表している。
 そこで博士は、多くの学生が教育の目的を思い違いし、「大衆を永久に踏みつけることができるような」搾取の手段を提供するものと考えていると、鋭く理路整然と批判した。
 むしろ教育は、手段よりも「崇高な目標」を与えるべきであり、徹して考え抜くことを教えるものだ。「知性プラス品性――これこそ、真の教育のゴールである」(リローン・ベネット『マーティン・ルーサー・キング』中村妙子訳、新教出版社)と。まったく、その通りだ。
 高等教育によって得た知識や力を何のために用いるのか――そうした根本の品性を養わなければ、私利私欲にまみれた、浅はかな「才能ある畜生」に落ちてしまうことを、私たちは憂える。
 指導者やエリートが民衆を侮蔑し足蹴にする、そういう"裏切り"は、もうたくさんであるからだ。一部のエリートにいばらせる時代は終わった。いな、断じて終わらせなければならぬ。
 そして、善良な人びとが幸福と平和のために勝利する時代を開く、新鮮なる紙面を、必ず我らが創り出しゆくことだ!
 「英知を磨くは何のため」――それは、人類の平和である。人類の幸福である。
 創価大学は、その理想の達成のための学びの城である。その新しき、夢に見た世紀を担いゆく若人のために創立した大学である。
 ゆえに、傲慢なる指導者になるのではなく、無名の庶民たちを守りゆく、知性と信念の正義感のみなぎる人間主義のキャンパスであるのだ。

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