Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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恐れなき和歌山の友に贈る 連続勝利の歴史を! 全世界の友のために

2003.4.23 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  日蓮大聖人は、「開目抄」に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と宣言なされた。全く正しき道理である。
 牧口先生もまた、「愚人に僧まれたるは第一の光栄なり」と断言なされた。
 大聖人の直系の指導者であるならば、当然なる真理の叫びである。
 師の殉教の後を継ぐ戸田先生もまた、「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」と宣言された。
 仏法の真髄の法理であり、人生の究極の正義の道である。そして、信仰の誉れ高き人間の究極を突いていらっしゃる。
 古来、「仏法書読みの仏法知らず」が、いかに多かった日本の歴史よ!
 経文を唱えれば、それで信仰者であるが如く見え、学校や大学で仏教史を教えれば、それがまるで仏教学者であるが如く見える時代も、長く続いていた。
 仏法は実践である。仏法は、人を救い平和を築く「不惜身命」の行動なくしては、ありえないのだ。
 「仏法は、着物みたいに美しく飾りながら、読んだり説いたり、形式的な飾りになり下がってきた。それは、釈尊に対して、そしてまた大聖人に対し、利用のみであり、厳しく言えば侮辱であり、傲慢だ」と言った仏教哲学者がいた。
 わが創価学会は、大聖人の仏法を信じ、行じ、あらゆる経文通りに、あらゆる非難中傷を受けながら、広宣流布に戦い抜き、行動し抜いてきた。これは、万人の凝視するところだ。
 だからこそ創価学会は、新時代を築きゆく広宣流布の真実の使命ある団体として、世界的になったのだ。
 嬉しいことに、私は、この先師らの言う通りの世界を歩んできた。ゆえに、正義であり、勝利者であると自負している。そして、学会の中に、皆の中に、その正義の仏法は脈動している。われらの同志の世界は、広宣流布の闘争に、常に燃え上がっている。これが、人間としての究極の誉れ高き栄光の正道であるからだ。
2  小説『新・人間革命』の次の章、「烈風」の章では、いよいよ一九六九年(昭和四十四年)十二月の和歌山訪問について綴らせていただく予定である。
 急性の肺炎による高熱を押して臨んだ和歌山市の県立体育館での、あの一万人の県幹部会。その時、私の生命を奥底から突き動かしていたのは、ありし日の恩師・戸田先生のお姿であった。
 それは、忘れることのできない昭和三十二年十一月十九日、信濃町の旧学会本部の応接室でのことであった。
 戸田先生は極度に衰弱しきっておられた。ソファに横になられて、声もあまりにも寂しく低かった。それにもかかわらず、翌日、広島への指導へ旅立つ決意をしておられた。
 私は決断した。誰も先生の体を心配していないのか。何たる側近だ。何たる弟子だ。怒りをもって、私は横になっておられる先生の前に土下座し、「先生、明日出発される予定の広島指導をやめてください」と大声で懇願した。
 「先生、ご無理をなされればお体にさわり、命にもかかわります。おやめください」
 私はすがるような思いで申し上げた。
 だが、先生は厳しい表情で立ち上がられ、断固として言われた。
 「仏のお使いとして、私は死んでも行くのだ。大作、行かしてくれ。それが、まことの信心ではないか!」
 私は直感した。
 "先生は、今や死を決意しておられる"
 私も真剣であった。引き留めることに全魂を込めて、先生に申し上げた。
 すると先生は、声を振り絞るかのように言われた。
 「四千人の同志が待っている。……大作、死んでも俺を、行かせてくれ!」
 先生は弟子たちに、不借身命こそ仏法者の本来の姿であることを、身をもって示しておきたかったのだ。
 その命を削る思いの言々句々は、唯一無二の弟子である私には鋭く直感できた。
3  ともあれ、和歌山訪問を前に、私は大阪で、四十度を超す熱を出してしまった。疲れに疲れきってしまった。私の容体の連絡を受け、妻も急きょ駆けつけた。
 体を診てくれた医者は、「熱が下がれば……」と口にしたものの、本心は、絶対に和歌山行きは中止すべきだと訴えていた。側近の幹部からも、断じて、行かぬよう止められた。
 私は、妻と二人きりになった時に言った。
 「どうしても和歌山に行ってあげたい。途中で倒れれば本望だ」
 暗々のうちに二人で納得し合った。行くことが決まったのだ。
 忘れもしない、わが師の逝去直前の昭和三十三年三月十六日――。「広宣流布の記念式典」は、時の首相を迎えて挙行されるはずであった。
 実は、その式典に水を差し、首相の出席をやめさせたとされる一人が和歌山におり、いまだに学会の悪口雑言を言い放っていた。
 善良な和歌山の同志は、どんなにか苦しい思いをしているであろうか。
 私は、和歌山に行き、学会の正義を、厳然と訴えておきたいと、固く心に決め、長い間、誓い続けていたのである。だが、熱のために、私の体はフラフラしていた。

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