Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昇りゆく千葉の旭日 今を勝て! 正義の剣を振るえ

2003.3.13 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  ロシアの文豪トルストイは叫んだ。
 「人間は他人との交流がなくては、また他人からの働きかけと他人への働きかけがなくては自己を完成することはできないのである」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 全くその通りだ。彼の哲学は、仏法の方程式に通ずるものが多い。
 そして、彼は、また、こう叫んだ。
 「喜びにみちあふれた生活を送る最もだいじな方法は──人生は喜悦のために与えられたものであると信じることである」(同前)
 人生の目的は広宣流布である。崇高にして偉大な目的に生きることは幸福である。
 生き抜くこと、それ自体が楽しい。これが人生の真髄である。
 私の恩師も、そう語っていた。
2  それは、一九七四年(昭和四十九年)の寒い二月十五日のことであった。
 私は、千葉の勝浦、そしてまた、初めて日蓮大聖人の御聖誕の地・天津小湊方面に向かっていた。
 午後八時半、外房線の特急「わかしお」号が、この日、私が下車する大原駅に滑り込んだ時である。駅構内の片隅に、人びとの一団が見えたのだ。
 私は驚いて、列車を降りるや出迎えの幹部に尋ねた。
 「あれは、学会員じゃないのか……」
 「皆、そうです」
 総本山への登山会の参加者たちであったのだ。
 私は、即座に、その大切な方々の所へ急いだ。
 「皆さん、登山会ですか」
 百人ほどもおられただろうか。私の声に、皆の表情が、ぱっと輝いた。
 「先生!」
 寒い夜の駅に、時ならぬ歓声が響いた。勝浦本部の方々であった。感極まって、夢中で私のコートの裾を引っ張っている婦人もいた。まさに、これから総本山への参詣に出発するところだという。
 明日は、ここ勝浦方面で、私が出席しての千葉県大会などが予定されていた。同志の皆様も楽しみにしておられると聞いていた。それだけに、私と入れ違いで旅立つ友の気持ちを思うと、なんとしても励ましたかったのだ。
 「皆さんの留守は、私が引き受けました。どうか風邪などひかれませんように。安心して行ってらっしゃい」
 私はこう言って、花束や菓子を贈り、わが友への、せめてものはなむけとさせていただいた。再び、明るい、嬉しい歓声がわいた。
 しかし、私は、大切な友と別れて宿舎に着いても、まだまだ何かしてあげられないかと、考え続けた。
 そこで、学会本部に連絡を取り、新刊の創作物語『少年とさくら』や、刷り上がった翌日付の「聖教新聞」などを、東京駅に届けてもらった。乗換列車を待っていた勝浦の友は喜んでくださり、意気揚々と出発されたとの報告を聞き、私は、ようやく安堵したのである。
3  たった一瞬の出会いが、一生を決める場合がある。たった一言が、人生の転機にもなる。
 まして、わが同志は、広宣流布のために戦ってくださる尊き戦友だ。御本仏が護り、必ず賞讃される方々だ。どうして通り一遍の対応で済ませることができようか!
 大聖人は、「立宗」以来、「二十余年が間・一時片時も心安き事なし」と仰せである。心休まる暇もない、命に及ぶ大難の連続のなか、邪悪を破り、人びとを励まし、大法を説き続けられた。
 その峻厳な連続闘争に続きゆく道は、「今」を勝つために心血を注ぐ以外にない。
 ゆえに私は、生命のアンテナを研ぎ澄まし、「今しかない」「今しかない」と、一人また一人と、出会いを重ねてきた。さらに、一瞬一瞬、正義の長剣を振るって、広布途上の卑劣な妨害をはね返し、険難の峰を登ってきたのだ。
 わが同志よ、わが弟子よ、断固として、今を勝て!
 栄光不滅の旭日よ、千葉の天地に昇れ!
 蓮祖の「御聖誕の日」である翌十六日、私は、ゆかりの天地で活躍する同志のもとを駆け回り、午後には、勝浦市民会館で開催された千葉県大会に出席した。
 ストック、菜の花、キンセンカなど、壇上を彩った花々にもまして、わが千葉の同志の笑顔が、爛漫の春のごとく咲き薫っていた。
 その光景は一生涯、私は忘れることができないだろう。

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