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日蓮大聖人・池田大作

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晴れ渡る岐阜の空 勝ち進め! 民衆の正義の大行進

2003.2.5 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  昨年、フランスSGIのユゴー文学記念館では、揃って生誕二百年を迎えた二人の大文豪を紹介する「ユゴーとデュマ展」を開催した。
 内外に多大な反響を広げたと伺い、嬉しい限りである。
 さらに、十一月の末日には、フランス国家の名において、かのデュマの遺骨が、ユゴーやゾラなど偉人の眠る、パリのパンテオン(偉人廟)に移された。
 デュマは『モンテ・クリスト伯』等の多数の傑作を残しながら、”黒人奴隷の子孫”ゆえに不当に低い評価を受けてきた。それが名誉回復されたのである。
 故郷からパリに向かうデュマの棺は青い布で覆われ、そこに、こう記されていた。
 「皆は一人のために一人は皆のために」
 代表作の一つ『三銃士』のなかで、主人公たちが団結を誓う名文句である。
 「皆は一人のために」──いわば、一人を大切にする人間主義の心といえようか。
 「一人は皆のために」──友のために一人立ち、献身しゆく責任感であろうか。
 この両方の心が生き生きと脈動する、真正の人間王者の団体が、わが創価学会だ。
 この模範の「人間の都」をさらに堅固にし、さらに強めていかねばならない。
 日本の中心たる中部にあって、威武堂々、その民衆大行進の最前線を進むのが、我らの岐阜の使命である。
2  五十年前(一九五三年)の師走、私は名古屋に続き、岐阜に第一歩を印した。
 以来、訪問は二十回にも及ぶが、いつも岐阜の空は澄み渡り、麗しき「飛山濃水」の国土が最高の装いで迎えてくれていた気がする。
 岐阜で行った第一回中部青年平和文化祭(八二年)も、「曇りのち雨」の予報を覆して、青い空が不屈の五段円塔を祝福した。
 高山の友との出会い(一九六七年)も、乗鞍や穂高の秀峰が見守っていた。
 今、ここには待望の二十一世紀研修道場が完成し、白川郷の合掌造りを思わせる高山文化会館からは、”愛郷”の友の歓声が響いている。
 また、七一一年(昭和四十七年)の三月十二日、四千二百人の岐阜の友と記念撮影をした日も、清々しい空の彼方に、くっきりと雪の伊吹山が見えた。
 会場の県民体育館(当時)には、開館したばかりの「岐阜本部」の巨大な絵が、満開の桜に包まれて描かれ、その下には県花のレンゲ草の花壇が設けられていた。
 撮影の合聞には、「春の小川」の大合唱となった。私はピアノも弾いた。岐阜の友が喜んでくださるなら、何でもしたかった。
 皆、あの「言論問題」で、驕れる権力の罵倒に激怒しながら、悔し涙を流しながら、必死に耐えてきたからだ。
 さらに、私の心に刺さって離れぬ一事があった。
 前年(七一年)の暮れ、岐阜駅構内で起こった、停車中の普通列車に貨物列車が追突し、多数の乗客が負傷した事故のことである。普通列車には、登山会帰りの美濃や郡上、関の同志たちが乗っていたのだ。
 ”こんな事故で一人も不幸にしてなるものか!”
 幸い、怪我をした方々も命に別状はなかったが、私は、岐阜の同志の「変毒為薬」を懸命に祈り、矢継ぎ早に励ましを送り続けたのである。
 この事故は、貨物列車のスピードの出し過ぎ、前方不注意など、全く人為的ミスによるものであった。多くの生命を預かる責任は重い。あまりにも重い。
 慣れ、惰性、油断、疲れ……そうした一瞬の隙を、魔は突いてくる。信心とは、間断なき「魔との戦い」であることを、仏法指導者は絶対に忘れてはならない。
 記念撮影会には、列車事故に遭った方々も、多く参加しておられた。皆、お元気そうであり、私は安心もし、本当に嬉しかった。
 会場を包む、岐阜の友の笑顔また笑顔。その満開の笑みとレンゲ草とが、私のなかで重なり、一句が浮かんだ。
 「美濃の路に 功徳と咲けや 蓮華草」
3  この記念撮影会の折に再会を約しあったが、それは翌年(一九七三年)六月に実現した。県民体育館に再び岐阜の友が集っての、文化祭と県幹部会である。
 文化祭の圧巻は、郡上方面の同志らによる創作劇「一人立つ」であった。江戸時代の宝暦年間に起こった、有名、な「郡上一撲」をモチーフにした劇である。
 ──時は十八世紀の半ば。郡上金森藩では、財政難の上に藩主が幕府の要職に就いて出費が嵩み、さまざまな理由をつけて年貢増を図った。
 「もう我慢ならぬ!」
 農民たちは増税撤回を求めて立ち上がる。一度は要求は認められるが、藩側の校滑な切り崩しと弾圧により、脱落する者も出始めた。
 だが「立者」とも「立百姓」とも呼ばれた、不屈の農民たちは、江戸に出て、死罪も覚悟で幕府への直訴を敢行していく。
 創作劇は、こうした史実を踏まえ、迫害に屈せぬ魂を描き出していった。
 堂々たる体躯の、主役の青年の叫びが会場に響いた。彼は、目が不自由ななか、男子部の幹部としても、必死に奮闘してきた青年であった。
 「俺は決めたんだ。死ぬ気になって事にあたれば、何も怖いことはない!」
 「たとえ両手を取られようが、足をもぎ取られようが、この命の続く限り、俺の命の続く限り戦い抜くんだ!」
 迫害の嵐に向かい、人生の苦難に向かい、断じて恐れることなく一人立つ精神!
 これこそ学会魂だ。世間の風向き次第で、たやすく信念が揺らぎ、逃げ去る臆病者は必要ない。
 御聖訓に仰せである。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵のとがを顕せ・師子は値いがたかるべし
 学会は師子だ。邪悪とは、断固と戦い、勝つのだ!
 私は、この日、偉大な岐阜の同志の胸に、創価の正義の炎が、赤々と燃え上がったことを知ったのである。
 ──昨年、「郡上一撲」の舞台となった地域にも、民衆勝利の宝城たる郡上平和会館が誕生し、わが同志が生き生きと乱舞しておられる。本当に嬉しい。
 実は中国の周恩来総理も、三十八年前(一九六五年)の五月、日本の訪中劇団が演ずる、郡上一撲を題材にした演劇「郡上の立百姓」を観られた一人であった。
 岐阜に脈打つ、戦う正義の民衆の心は、偉大なる人民の指導者と、深き共鳴の調べを奏でていたのである。
 周総理は言われた。
 「勝利を望むのなら、消極的に抗戦するのではなく、積極的に抗戦することである」(『周恩来選集〈一九二六年~一九四九年〉』日本語版《周恩来選集》翻訳室訳、東方書店)
 悪と戦わずして、善の勝利はない善の拡大なくして、幸福の拡大もない。勇気をもって戦う生命こそ、人間としての栄冠なのだ!
 これは、中部の同志と共に半世紀、来る日も来る日も、広宣流布の戦場を勝ち越えてきた私の結論である。
 わが岐阜の同志よ! 正義と幸福の炎を燃やしながら、人生の凱旋門へと続く「この道」を、夫婦と共に、親子と共に、そして同志と共に、朗らかに、堂々と、勝ち進んでくれたまえ!

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