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日蓮大聖人・池田大作

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不撓不屈の宮城 一人立て! 地域広布の英雄よ

2003.1.31 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  「剛毅不屈、何ものにも動かされないような人物でなければ、社会の根幹となるに足りない」(「文化偏至論」松枝茂夫訳、『魯迅選集』5所収、岩波書店)とは、仙台にゆかりの深い文豪・魯迅が、日本で綴った一節である。
 「剛毅不屈」──これこそ東北人の胸に燃え盛る魂といってよいだろう
 東北には、豊かだが厳しい北国の自然がある。中央政府に抑圧されてきた忍従と苦痛と悲憤の歴史もあった。
 それでも、東北の皆様は、あらゆる苦難を耐え抜き、勝ち越えてこられた。私もその堅固な魂を尊敬し、また感服してきた一人である。
 日本の社会には、いわゆる「中央至上主義」「お上意識」が根深い。それは「長い物には巻かれろ」といった精神風土にも、色濃く投影されている。
 しかし、時代はその変革を求めてやまない。地方分権も趨勢となってきた。
 庶民の目は厳しい。
 画一的な中央志向によって手に入れたものが、本当に民衆のためになるのか?
 自分たちの郷土のなかに、もっといいもの、大事な財産があるのではないか?
 賢明な民衆は、その一点を鋭く見極め始めている。
2  かつて私は、本格的な「地方の時代」の到来を展望して提言を行った。一九七八年(昭和五十三年)の十一月のことである。
 この時、わが胸には、東北の天地で戦う、庶民の英雄の顔が浮かんでいた。ゆえに私は、翌七九年の年が明けると、懐かしき同志に会うために仙台へ走った。
 そして、宮城の新年幹部会の席上、「東北こそ『地方の時代』の先駆」と、明確に宣言したのである。
 また、折から「大白蓮華」に寄稿した巻頭言でも、私は、地方にあって独自の気概を示した実例として、「東北の伊達家」をあげた。
 「地方の時代」は、たんに、中央と地方の格差を是正するといった次元にとどまらず、地域に生き抜く一人ひとりが主役となる、「地域の時代」であり、「民衆の時代」でなければならない。
 それはまた、民衆が傲慢な権力の魔力に惑わされ、引きずられていくような時代を変える、深い「意識革命」をともなうものだ。
 当時は、第一次宗門事件の渦中である。東北の同志は、宗教の権威を振りかざす悪坊主の本性を見抜き、理不尽な圧迫に歯を食いしばって耐え抜き、必死に戦っていた。
 日蓮仏法は、民衆を師子に鍛え上げる。その師子と師子が「異体同心」のスクラムを組み、地域にがっちりと根を張ってこそ、創価の東北城は盤石となるのだ。
 東北に、宮城に、不携不屈の魂を持った、新たな民衆の大王国を築け!
 そのために、私は”各人が一人立つ地域の勇者たれ”と訴え抜いたのである。
3  宮城は美しく、豊かだ。東の海には絶景の松島が浮かび、西の山には蔵王連峰が白雪に輝く。杜の都・仙台には、広瀬川を眼下にして、私たちが忘れることのできない、あの青葉城がある。恩師が”学会は人材の城を築け”と永遠の指針を残した城跡である。
 伊達政宗公が「百万石」の夢を馳せ、「民安国泰」の願いを込めた仙台は、四百年の歳月を経て、東北六県の中心地として、隆々たる「百万都市」に発展した。
 私も、宮城野の東北文化会館等を訪れるたび、仙台の隆昌に目を見張ってきた。
 宮城には、近代的なオフィス街もあれば、古い城下町の風情もある伝統的な農漁村もある。にぎわう商店街もあれば、新興団地もある。
 この人間の大地が、我らの活躍する大舞台である。

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