Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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広宣流布の王者 創価の正義は嵐を越えて厳たり

2002.11.20 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  ゲーテは歌った。
 「風と浪とがどんなに船をもてあそんでも
 かれの心は風にも浪にも翻弄されぬ
 平然としておそろしい深淵をながめ
 難破しようと陸地に着こうと……」(『ゲーテ詩集』井上正蔵訳、白水社)
 まことに雄々しく、誇り高き魂の詩である。
 「善事をなして悪くいわれるのは王者らしいことだ」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)
 これは、古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスが座右に置いた格言であった。
 広宣流布は、すべての人びとを幸福にし、世界を平和にする戦いだ。人間として極善の使命の行動である。
 その最も尊貴な聖業に立ち上がった仏の軍勢に、迫害の烈風は必然であるのだ。ゆえに、法華経に「猶多怨嫉・況滅度後」「悪口罵詈」等と、明言されている。仏の在世すら、なお怨嫉は多く、況や滅後はさらに甚だしいと。
 この経文に仰せのごとく、現代において、広宣流布の大闘争ゆえに、迫害の集中砲火を浴び続けてきたのが、わが創価学会である。
 その迫害の荒れ狂う嵐のなかにあって、わが師・戸田先生は「創価学会は宗教界の王者なり!」と、瞳輝く数千の青年を前にして宣言なされたのである。
 今、勇敢なる私たちは、ありとあらゆる迫害の嵐を突き抜け、ここに創立七十二周年の佳節を、赫々たる正義と栄光の歴史をもって飾ることができた。どれほど、初代会長・牧口先生、二代会長・戸田先生がお喜びか。
 世界の尊き全同志に、私は心より感謝を申し上げたい。
 本年一月、中部の青年部の企画で始まった「偉大な指導者周恩来」展は、名古屋を最初として、東京、沖縄、福岡、香川、仙台、京都、横浜を巡回。その来場者は百万人をはるかに超え、大反響を広げてきた。
 そして今回、日中友好に尽くされた松村謙三氏の故郷・富山で始まった。大成功を心より祈っている。
 若き日の周総理は、日本留学の直前、学友に”大海原を行く船の如く、崑崙の山を巡る奔馬の如く”(趣意)と贈言された。
 若き君よ、老い果てて、何もせず、自身の歴史も一つも残さず、嘆かわしき生涯を送ることなかれ。
 歩武堂々と進みゆく、青年部の諸君は、いやまして荒れ狂う怒濡を乗り越え、吹雪の嵐を悠然と乗り越え、新しき太陽の輝く新世紀の大舞台で、命のある限り、乱舞していっていただきたいのだ。
 そこに、君の光栄の実像が輝くからだ。
 そこに、君の自由と勝利の運命の勝関があるからだ。
 そこには、永遠に破滅はない。
 そこには、永遠に朽ち果てぬ、人間の究極の勝利を刻印する王座があるからだ。
2  人民の大指導者・周総理もまた、さまざまな迫害と戦い続けてこられた。
 なかでも、あの悪辣な”四人組”は、デマ記事を使って、周総理の失脚を目論んでいたと、総理の主治医が書いている。
 その記事とは、一九三〇年代の革命闘争の最中、総理が党からの「離脱声明」を出したというものであった。これは、当時の敵側の流した事実無根の捏造であった。
 実は、その記事が出た時、総理はすでに革命の拠点の要職についていた。事情を知る人なら、絶対に騙されるはずもない虚報である。
 ところが四人組は、文化大革命の混乱に乗じて、何十年も前のデマ記事を持ち出し、清廉潔白の総理に”裏切りの過去”があると讒言し、騒ぎ立てようとしたのだ。さらに彼らは、総理の逝去後にも、再び同じデマ記事を使おうとした。(張佐良『周恩来・最後の十年』早坂義征訳、日本経済新聞社、参照)
 私欲に駆られて権力の座を狙う”人民の裏切り者”が、人民奉仕に徹した総理を裏切り者呼ばわりする。笑止千万だが、これこそが悪人の攻撃のやり口であった。
 大聖人は伊豆流罪の大難のなか、こう仰せである。
 「今は世が末になってしまったので、妻子を持っている僧でも人びとの帰依を受け、魚や鳥を食べている僧でも帰依を受けるのが当然となっているではないか。
 ところが、日蓮はそうした妻子も持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとしているだけである。それを罪過とされ、妻子を持たないのに犯僧(破戒僧)の名が国中に満ち、ケラやアりさえも殺さないのに、悪名が天下にはびこっている」(御書九三六ページ、通解)
 「立正安国論」を世に問われて二年後のことである。
 諸宗の僧たちは、大聖人と「法」の正邪を争っても、とても勝ち目がないと知ったのであろう。卑劣にも、大聖人に「破戒僧」「悪僧」の汚名を着せて、その噂を日本中に流したのである。
 では、諸宗の僧たちの実態は、どうだったか。
 当時から、念仏僧の一部は公然と妻帯していた。魚や鳥を食べる生臭坊主も、幾らでもいた。大聖人を口汚く誹謗している連中の方こそ、破戒僧であり、悪僧であった。
 正義の人に無実の汚名を着せ、悪のイメージを与えることは、古今変わらぬ常套手段といってよい。
 大聖人は、御自身への悪口罵詈について、「釈尊をさまざまな外道が誹謗したことに似ている」(御書九三六ページ、通解)と仰せである。
 釈尊は生涯に九つの大きな難(九横の大難)を受けた。そのうち二つは、女性が関係した、全く、でっち上げの事件であった。
 一つは「旃遮女の謗」である。バラモンの旃遮女が衣の下に鉢を入れて、釈尊のために身ごもったと吹聴し、説法の席で誹謗した。
 もう一つは「孫陀利の謗」である。釈尊の徳望を妬んだ外道たちが、孫陀利という女性をそそのかし、仏の会座に出入りさせたあと、殺害して祇園精舎に遺棄した。やがて遺体が見つかると、彼らは、釈尊らの仕業だと喧伝したのである。
3  本来、信仰の世界は、利害ではなく、「信頼」を基礎にした良心の結合だ。その強き絆の生命線は、民衆の救済に尽くす指導者の高潔な精神と行動にある。
 ゆえに悪人は、この信頼を壊し、不信の汚辱にまみれさせるために、指導者や教団の醜聞を捏造し、その宣伝に狂奔するのだ。
 あのナチスも、カトリック教会に打撃を与えるために、声望ある修道士のスキャンダルを流していたことは、有名な史実である。
 「嫉妬は架空の醜名をもって、つまり、讒謗をもって攻撃する」(『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』杉浦明平訳、岩波文庫)とレオナルド・ダ・ピンチは洞察した。
 興味深いことに、悪人どもが迫害のためにつくり上げる中傷は、自分自身が陰でやってきたことが多い。しばしば、金銭問題を起こした者は、金銭問題のデマを流し、異性関係にだらしがない者は、異性問題を捏造して醜聞を流す。
 「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」といわれるように、でっち上げるデマもまた、自分の行動、願望、思考、境涯の投影にすぎないからだ。
 また、流されたデマの反応にも、その人の人格と境涯が端的に表れていくものだ。自分の生き方に、ごまかしや不正がある人は、醜聞を好み、デマを鵜呑みにする。
 悲しいかな、「無私」の心や精神の尊貴さ、清廉潔白といった生き方を、信じることができないのである。だから”皆、自分と同じである”と思いたいのだ。そこには、自分を正当化したいという心理が働いている。
 いわば、デマの本質を見抜き、一笑に付すか、デマに騙され、翻弄されるか──試されているのは、一人ひとりの人格でもあるのだ。

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