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日蓮大聖人・池田大作

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生命光る”華冠”の友(上) 咲き薫れ 尊き使命と歓喜の花

2002.11.6 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  アメリカ・ルネサンスの旗手、エマソンは語った。
 「ピタゴラスは誤解された。そしてソクラテスも、イエスも、ルーテル(”ルター)も、コペルニクスも、ガリレオも、ニュートンも、そして、かつて生存した純粋で賢明な精神のもちぬしは、すべて誤解された。偉大であること、すなわち誤解されることである」(『人間教育論』市村尚久訳、『世界教育学選集』57所収、明治図書出版)
 全くその通りであると、私も思う。いわれなき中傷、批判を、正義のゆえに受けることが、日蓮仏法でも名誉とされているからだ。
 切実に生き抜く人生の価値は、どのような尺度があり、その価値をどのように決めていくべきであろうか。つまり、矛盾と苦難の波高き、この人生を、いかに生くべきであろうか。
 ポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクは、獄中から、友人に確信をこめて書き送った。
 「わたしたちは勇敢に、ひるまず、ほほえみをもってこれに対処せねばなりません──いかなることがあろうとも」(『獄中からの手紙』秋元寿恵夫訳、岩波文庫)
 勇気をもつことだ。臆さないことだ。顔を上げ、朗らかに進むことだ。これは人生を勝ちゆく鉄則である。
2  日蓮仏法は「桜梅桃李」と説く。桜も、梅も、桃も、そしてスモモも、厳冬に耐え、やがて春来りなば、爛漫と自らの花を咲かせる。決して、他の花を羨んだりしない。
 今ある場所で、もてる力を出しきり、懸命に咲き薫ることだ。だから美しい。
 人生もまた同じだ。自己の開花が人生であるからだ。
 ある思想家は、「社会の改良よりは自分自身の改良が先だ。それがすなわち、大いなる社会の改良となるからだ」という意味の言葉を残した。
 自分自身の使命の花を、自身の個性の花として、何があろうとも、ひたむきに咲かせゆく人生は美しい。
 「すべての個性には、おのずからの美がある」とは、ある哲人の名言であった。
 それでは、この”個性の美”をいかにして引き出すべきか。
 人間の美の価値は、幸福の一つである。
 それを日々追求し、ながら、美容師やエステティシャン(全身美容の技術者)をはじめ、多彩な美容関係の分野で活躍されているのが、私たちの人関連帯の「華冠グループ」(女子部)であり、「華峰会」(婦人部)の皆様方だ。
 さらには、男性の美容師の「桂冠会」「桂冠勇勝会」という名手のグループがあり、「星辰会」という理容師の美の制作の陣列もある。そしてまた、女性の理容師の「二葉グループ」の方々の活躍も、まことに目覚ましく美しい。
 それにもまして、それぞれの技術を生かして協力し、各地の老人ホーム等でボランティアの調髪も地道に行ってこられた、尊き皆様方の努力に、私は心より感謝を申し上げたい。
3  それは一九六六年(昭和四十一年)の六月十四日、美容院が休みの火曜のことであった。
 この日、東京の五反田の会館に、女子部の美容師のメンバー五百人が喜々として駆けつけた日頃、なかなか活動に出られない彼女たちが、互いに切瑳琢磨し合う”人材グループ”として、元気に出発したのである。
 発足の数日前、女子部の代表の方々と学会本部で懇談した折に、美容師だという一人のメンバーと語り合った。それは、平凡とも映る会話であったが、彼女は鋭く、その指導を受け止めてくれたようだ。
 ──美容界での成功と勝利は技術の向上が生命である。
 自身の技術を磨き抜くことだ。それなしには、自身の成長も、客からの信頼も、満足も、喜びも、なくなってしまう。それでは、自分自身の敗北だ。
 自分自身を磨け! それは、技術を磨くことだ。技術を磨くことが、自分自身を磨くことだ。メンバーは、その私の励ましを今でも覚えてくださっているようだ。
 住み込みで働いている方々も多かった。しかし、わが友らは必死で時間を作り、勇んで学会活動に走り抜いてこられた。
 私は、健気に、疲れる仕事と信心活動の両者を走りゆく、その奮闘の乙女らに、幾たびとなく胸を熱くした。
 その後、乙女らの代表からも相談を受け、「華冠グループ」という名前を、グループの名称とすることになった。それは、発足から五カ月後の十一月八日のことであった。
 清らかにして美しき信仰をもっ、勇敢にして華のような美しき顔の一人ひとりに、誉れの勝利と栄光の”華冠”を頭上に捧げられることが、ことのほか嬉しかった。

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