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日蓮大聖人・池田大作

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民衆の中へ 民衆と共に 「広布の大指導者」の弟子よ立て

2002.9.13 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  マハトマ・ガンジーを訪問したある宣教師が、″あなたの信仰する宗教は何か″と質問した。
 すると、ガンジーは、彼の部屋のなかで休んでいる二人の病人の方を指さしながら、こう答えたという。「(あの方々に)奉仕することが私の宗教です」(「実践における私の宗教」浦田広朗訳『私にとっての宗教』所収、新評論」)
 ガンジーの非暴力の魂を継承した、米国の公民権運動の指導者キング博士は、折あるごとに語った。
 ″民衆の苦悩の現実から目をそらせる宗教は、死にかかった宗教だ!″
 このほど、彼の母校であるモアハウス大学・キング国際チャペルの主催により、「ガンジー・キング・イケダ」展が、八王子の創価大学記念講堂で始まった。
 私のことはともかく、ガンジーやキングの鉄の信念は、私たちには、痛いほどよくわかる。苦しんでいる人、悩んでいる友がいる時、その人の幸福のために行動する──いかに立派な理想を掲げようとも、この根本の一点を抜きにして宗教の生命はないからだ。
 創価学会は、常に、不幸な人びとの渦中に飛び込み、戦ってきたそれゆえに「貧乏人と病人の宗教」と嘲笑され、侮蔑されてきた。
 しかし、わが師である戸田城聖先生は、呵呵大笑して、その無理解の中傷を、むしろ誉れとされた。不幸な民衆を救ってこそ、真実の「力ある宗教」ではないか。批判は学会が「生きた宗教」である証拠だ!
 戸田先生は、大確信をもって人びとに訴えられた。
 「もし、皆さん方が幸せにならなかったら、この戸田の命を差し上げる!」
 相手がどんなに絶望の淵にあろうとも、眼前の「一人」を救えなければ仏法は嘘になってしまう。先生は、渾身の力で、人びとの生命を揺さぶり、苦難と戦いゆく偉大なる不滅の勇気を呼び覚まし続けたのである。
 その師の全魂の激励に触れて、一人が立ち上がり、また一人が立ち上がった。
 彼らは、自分自身の宿命を打開しながら、さらに大いなる目的である新しき社会の建設に躍り出で、戦った。すなわち、広宣流布に立ち上がったのだ。
2  私の好きな言葉の一つに、十九世紀のロシアの著名な文学者であるピーサレフの言葉がある。
 彼は、声高く叫んだ。
 「賢く、精力的な人間は、最後まで戦い通すが、愚かで、何の役にも立たない人間は、少しも戦うことなく、自分が意味なく存在しているという偶然に身を任せているのだ」(Э.Борохов ”Энциклопедия афоризмов” Издательство АСТ)
3  それは、忘れもしない一九五五年(昭和三十年)の夏季地方指導のことである。
 二十七歳の私は、北海道の札幌の責任者になった。
 五カ月前、あの有名な小樽問答の直後に出席した、札幌班の指導会での印象は、″とても淋しい、元気のない班″であった。だからこそ私は、そのような班の担当を志願したのだ。
 最も厳しいところに飛び込み、最もすばらしいところに変えてみせる!──これが真の指導者の信条であり、真の弟子としての責務の戦いであることを知っていたからだ。
 その札幌班は、十日間の目標であった「三百世帯の折伏」を、わずか五日間で達成したのだ。最終的に、弘教は三百八十八世帯に上った。
 皆が驚いた。学会中が驚いた。これは全国闘争の日本一の金字塔であったのだ。
 歴史をつくることは、「自信」と「誉れ」と「功徳」をつくることだ。
 この時、札幌に、戸田先生を迎えて、歓喜に燃える班大会を開催したことも懐かしい。
 その日は、私の師弟不二の旅立ちから八年後の、「八月二十四日」であった。
 勝って師匠に相見える以上に弟子の誉れがあろうか。
 翌一九五六年(昭和三十一年)の″大阪の大法戦″も、最初は勝てる見通しは全くなかった。いな、誰も勝てるなど信じていなかった。
 しかし、私は、必ず勝ってみせると、決意を定めた。そこから、新しい広宣流布の波が巻き起こることは、絶対に間違いないことを確信していたからだ。
 若き私も、あまりにもいじらしき関西の方々と、朝な夕なに励まし合い、戦い抜いた。そして「″まさか″が実現」と日本中を驚嘆させた。
 勝利の金字塔を打ち立てたことは永遠に残る。
 それは、精神的にも、社会的にも、また政治的にも、敢然と残しゆく、人間の文化の勝利であるからだ。そしてまた、多くの人びとが、錬磨し合いながら、あらゆる社会の教育を推進していく戦いであるからだ。

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