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日蓮大聖人・池田大作

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不二の旅立ち「8.24」(3) 日蓮仏法の魂は広宣流布!

2002.8.29 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  「信仰とは人生の意義の悟得であり、その悟得より生まれ出るもろもろの責務の認織である」(『一日一章 人生読本〈1~3月〉』原久一郎訳、社会思想社)と。
 これは、トルストイの有名な言葉である。
 今まで私は、幸福にも、世界の知性の多くの方々と対談してきた。あらゆる次元を超えて、対話がどれほど重要な、人生と人類の歴史になるかを感じ取っていたからだ。
 『闇は暁を求めて』――これは、ヨーロッパの最高峰の知性であり、アカデミー・フランセーズ(フランス学士院最古の部門)の会員であられたルネ・ユイグ先生と私が、対談集に掲げたテーマである。
 一貫して、ユイグ先生は、「人類社会の悪化を防げる原動力は創価学会である」と信頼を寄せておられた。
 彼は、第二次世界大戦中は、ナチスの魔手から、名画「モナ・リザ」など、ルーブル美術館の至宝を守り抜いた勇敢なる〝文化の闘士″であった。これは、世界中の文化人が、皆、認めるところである。
 闇が深ければ深いほど、暁は近い。
 その大いなる希望の暁光を、ユイグ先生は、我ら創価のエスプリ(精神)の戦いに見いだし、そして託してくださったのである。
 さらに、強く、こう訴えておられた。
 ──二十一世紀は、合理主義と精神性を結びつけ、再び「生命」から、人類は出発せねばならない。そのために、新たなルネサンスと宗教改革を断行すべきだ、と。
 私が「精神闘争の盟友」とも尊敬していた先生が逝去されて、早くも五年。
 リディ夫人は、「夫は亡くなる寸前まで、池田会長への変わらざる友情を語っていました」と言われ、数々の 貴重な遺品を届けてくださった。
 世界に結んできた深き永遠性の友情は、青年たちに残しゆく生命の宝と思っている。
2  正しき哲学、正しき宗教の光が失われてしまえば、人類は暗黒の闇を流浪せざるをえない。
 わが師・戸田城聖は断言した。
 「白法隠没というが、釈尊の仏法だけではなく、日蓮仏法も七百年にして、まさに隠没せんとしていた。しかし、牧口先生によって、大聖人の御精神は守られた。大聖人が創価学会を召し出だされたのだ」
 それは、日本が国家神道に押し流され、侵略戦争に暴走していた、一九四三年(昭和十八年)六月のことである。
 宗門は、学会の牧口会長、戸田理事長らを総本山に呼びつけた。
 大坊の対面所で、時の日恭法主の立ち会いのもと、「学会も神札を受けるようにしてはどうか」と、宗門の権威をもって言い出したのである。
 牧口会長は、「学会は神札を絶対に受けません」と明確に拒絶した。
 さらに、今こそ、大聖人のごとく、国家権力を諌暁していくべき時ではないかと烈々と叫んだ。
 この当時、軍部に接収された総本山の書院には、神札が祭られていた。
 腐りきった宗門には、「広宣流布の信心」の血脈などは、すでに途絶えていた。その極悪の魔性を、牧口・戸田両先生は、深く見破られていたようだ。
 日蓮大聖人の「正統」たる折伏行は、わが創価学会のみに、厳然と流れ通っていたのである。
 卑怯な宗門は、「折伏」という末法の仏道修行を、校滑に避けた。
 本来、外に向かって折伏の先頭に立ち、内に向かって信徒を包容し擁護すべきが、僧の務めであるはずだ。にもかかわらず、未曾有の広宣流布を進め、赤誠の供養の限りを尽くした学会に対し、布施を 取るだけ取って、狂った刃を向け蹂躙してきたのが、あの卑劣な宗門である。
 世界の宗教史を見ても、これほど恩知らずで恥知らずな、人間の道を踏み外した畜生の所業はないと、心ある識者は憤慨している。
 嵐の昭和五十四年の四月二日、恩師の命日に、私は書き記した。
  「死身弘法 不惜身命
   此の心は
   学会精神のみにある」
3  御聖訓には説かれている。
 「一切の仏法もまた、人によって弘まる」(御書四六五ページ、通解)
 「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を謗るのは、その法を謗る流ことである」(同ページ)
 戸田先生は、会長に就任されるや、七十五万世帯の折伏という誓願を立てられた。それと同時に、二十三歳の私は、担当する大田の大森地区から、即座に折伏の大波を起こしていった。
 「師弟直結」で戦うということは、いかなることか。
 師は、「戸田の命より大切な創価学会の組織」と言明されている。したがって、この学会の組織で、広宣流布の拡大に戦うこと以外に「師弟直結」はありえない。あとは、観念論だ。
 とともに、私は、わが師への無数のいわれなき悪口誹謗を断じて放置しなかった。こと師匠と学会の正義を冒涜する者に対しては、相手が誰人であれ、真っ正面から破折していった。後に初代の渉外部長となった私は、誤った報道には直談判し、徹底的に正した。
 「真に革命的な精神は、いかなる社会的虚偽をも容赦しない精神である」(「闘争の十五年」新村猛・山口三夫訳『』ロマン・ロラン全集』18所収、みすず書房)
 これは、フランスの勇敢なる文豪ロマン・ロランの名高い叫びであった。

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