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日蓮大聖人・池田大作

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不二の旅立ち「8.24」(1) 大難の嵐を越え 正義の五十五星霜

2002.8.24 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  ドイツの詩人ヘッセの言葉は、有名である。
 「悩みから力がわき、健康が生まれる」
 「悩みは、ねばり強くし、鍛える」(『若き人々へ』高橋健二訳、人文書店)
 昭和二十二年の八月十四日の夜。私が人生の師と仰いだ戸田先生と、大田区の座談会場でお会いしてより、満五十五年──。
 その時の確信に満ち満ちた師の宣言。
 師の「立正安国諭」の理路整然たる講義。
 私は、即座に”戸田の弟子″たることを決意した。そして、私の広宣流布への師弟不二の誓いと行動は、完壁なる魂となり、いやがうえにも燃え上がった。
 この日の世界広布へと旅立つ峻厳なる儀式は、今もって、私の生命より消えることばない。
 わが師は、日蓮仏法の広宣流布の大願の道を堂々と開き、潔く本懐を達成して、悠然として霊山へ還られた。
 弟子である私も、御聖訓通り、無数の邪悪な中傷批判を受けながら、正義の戦闘を貫 とおき通して五十五年。
 師と同じ正道をまっしぐらに進んできた。一日たりとも、休むことはなかった。
 わが同志も、同じく戦ってくださった。
 私たちは戦った。そして勝った。一つも後悔がない。
 私は、慈愛に満ちた人生の師である戸田城聖先生に、第一の弟子としての誇りをもって、いつでも三世にわたりて、お会いできることを最極の誉れとして、生き抜いている。
 私は勝った。私は断じて負けなかった。
 断じて弟子が勝つ。これが、日蓮仏法の精髄であるからだ。そして、創価学会の真髄であり、師弟不ニの根本であるからだ。
 今再び、広宣流布の決意の入信記念日である八月二十四日を、同志でもある私たち夫妻して、ますます、健康で、勇み立つ思いで迎えることができた。
 激しき法戦を戦い抜いてきた、わが愛する同志!
 その健気な友の健康と勝利と幸福を祈りに祈って、ここに五十五年の歴史を勝ち飾った。
2  「善を信ずるためには、それをなし始めなければならない」(『一日一章 人生読本〈4~6月〉』原久一郎訳、社会思想社)。文豪トルストイの含蓄の深い箴言である。
 その日、一九四七年(昭和二十二年)の八月二十四日は、暑い日曜日であった。
 入信を決意し、大田区から向かった杉並区にある寺院までの道のりは、肺病と肋膜を病んだ私には、随分と遠く辛く、感じられたものだ。
 入信の儀式の勤行も唱題も、それは長く感じた。慣れない長時間の正座で、足は痺れた。この日の苦しかった複雑な印象は、今も思い出される。
 確かに御聖訓に、「浅きは易く深きは難し」「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」と説かれる通りだ。
 この時、私は、深遠な仏法の哲理を、十分に納得できたわけではない。
 家族も大反対であった。ただ私は、表層の次元を超克して、戸田城聖という人格に魅了されてならなかったのである。
 「体当たりで、私にぶつかってこい
 青年らしく勉強し、勇敢に実践してみたまえ!」
 先生は、私を信じてくださった。
 私もまた、青年の直感で、「戦争中、平和のため、仏法のために投獄された、この人にはついていける」と確信したのであった。
 その意味において、八月二十四日は、まさしく「戸田大学」への入学の日であった。
 真実の人生のすべては、「師弟」から始まるのである。
 戸田先生と私が最初に出会った座談会で、先生が講義しておられたのは、「立正安国論」であった。
 ちなみに、その「立正安国論」が鎌倉幕府に提出された文応元年の七月十六日は、当時の西暦であるユリウス暦では、一二六〇年の八月二十四日に当たるようだ。
 この八月二十四日に、私は、世界の「立正安国」をめざす、創価の平和運動に勇んで身を投じたのである。
3  蓮祖は、仰せになった。
 「魔競はずは正法と知るべからず
 「大難なくば法華経の行者にはあらじ
 迫害こそ、正法正義の証であると、断言されている。激しき嵐の如き大難なくしては、真実の妙法広布の実践者とはいえないのだ。
 大聖人も「立正安国論」を天下に宣言された直後に、あの「松葉ケ谷の大法難」、また翌年には「伊豆流罪の大法難」を受けておられる。さらに、その後も、「小松原の大法難」、そして「竜の口の頸の座・佐渡流罪の大法難」と打ち続いた。
 まさしく「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」であられた。
 「如説修行抄」には、「此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと
 ――この信心を始めた日から、末法では釈尊の在世以上の大難が起こり、甚だしい三類の強敵が現れることを覚悟せよと、仰せである。
 入信間もなく、この御聖訓の一節が、わが生命に激しく轟き広がった。
 私は覚悟し、決意した。ゆえに、今もって、いかなる中傷批判も恐れない。
 私は、無数の悪口罵言に負けなかった。
 戦時中、仏法のゆえに、初代の牧口常三部会長は投獄され、獄死。二代の戸田城聖会長は、投獄二年。素晴らしき不惜身命の鑑であられる。
 師は、当然のこととして、この激流の迫害を乗り越え、勝ち越え、断固として殉教の歴史を飾られた。永遠の誉れの勝利の大勲章は、輝き光っている。
 この現実の姿は、私の心に深く、今なお、宝の如く、常勝不敗の決意として輝いている。

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