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日蓮大聖人・池田大作

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迫害に屈せざる精神王 人間を守れ 魂の権利を守れ

2002.8.10 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  パリ郊外の鮮やかな緑に包まれたビエーブルの園に、ビクトル・ユゴー文学記念館を創立してより、十年以上の歳月が流れた。
 今、この館では、文豪の生誕二百周年を祝賀し、「ユゴーとデュマ展」が、フランス文化省公認の行事として、盛大に行われている。
 百七十点に及ぶ貴重な展示品の中でも、ひときわ衆目を集めているのは、やはりユゴーの傑作『レ・ミゼラプル』唯一の校正刷りのようだ。これは一八六二年に印刷されたもので、全八巻にわたり、フランスの国宝に指定された最重要の文化遺産である。
 そこには、ビクトル・ユゴーが自ら丹精込めて、語句の修正や削除、句読法など細心の推敲を加えた力作の跡が、留められている。
 その中で、ユゴーが躍動する筆致で大きく書き加えた、胸に突き刺さる一文がある。その挿入された個所は、「第二部コゼット」の「祈り」と題する章であった。
 「民主主義の偉大さは、人間性をなにひとつ否定せず、なにひとつ否認しないことにある。『人間』の権利のそばに、少なくともそのわきに『魂』の権利が存在するのだ」(『レ・ミゼラブル』2、辻昶訳、『ヴィクトル・ユー文学館』3所収、潮出版社)
 それは、荘厳な魂の光を放っていた。思えば、あの邪悪な独裁権力から迫害また迫害され、十九年間の尊き年月にわたり、苦しき亡命を余儀なくされたユゴー──。
 彼は偉大な人間であったいかなる迫害にも、一歩も退かなかったその彼のエスプリ(精神)の真髄が、ここに凝結しているのであろうか。
 若き日、私は、この戦いを知った時から、ユゴーが一段と好きになった。私の青春時代の全生命を燃え上がらせた、激震の魂の劇であった。
 「人間性」を最大に尊重せよ! 「魂の権利」を断じて守り抜け!
 これは、人間の叫びであり、正義の叫びであり、仏法の叫びである。
 そしてまた、民主主義の根幹の精神闘争のために、迫害のなか、前進を繰り返す、創価の実像である。
2  忘れることのできない、いな、絶対に忘れてはならぬ原爆投下の月に、長崎で「ライナス・ポーリングと二十世紀」展が開かれている。
 入場者は、実に三万人を超えたと伺った。ご後援の新聞社をはじめ、暑いなか、開催の労をとってくださる方々に、私は心から御礼申し上げたい。開幕に当たり、ご子息のポーリング・ジュニア博士も、わざわざご来日くださり、感謝にたえない。
 ライナス・ポーリング博士は、人類史に輝きわたる屈指の頭脳の大科学者であった。
 そしてまた、最愛のエバ・へレン夫人と共に、いかなる弾圧にも屈することなく、核廃絶のために戦い抜かれた闘士であった。
 その博士ご夫妻の行動も、ユゴーと同様に、「人間性」を厳護し、「魂の権利」を死守するものであった。
 博士は、言われていた。
 「私が、なぜ平和に関心があるのか。
 それは、一人ひとりの人間に関心があるからです」(Edited by Cliford Mead and Thomas Hager, Linus Pauling - Scientist and Peacemaker, Oregon State University Press)
 まことに味わい深い言葉である。
 私が九年前(一九九三年)、サンフランシスコで、ポーリング博士と最後に、お会いした折にも、九十二歳の博士が、「今日も、三人の病気の方を励ましてきたところです」と生き生きと語っておられた。
 私は感動した。ここに、正義の真実の人間がいることを知った。思い出深き、忘れ得ぬあの笑顔……。
3  ポーリング展では、博士が受けられた二つのノーベル賞(化学賞と平和賞)の金のメダルなど、幾多の輝かしい記念品が展示されている
 とともに、博士に悪意に満ちた侮蔑を浴びせた雑誌も、紹介されている。
 その雑誌には、奇妙な政治的意見を持つ、風変わりなポーリング博士は、アメリカ社会ではまともに扱われたことがない」等の醜悪な黒き矢が記されていた。それは、博士が曝された山のような誹謗中傷の一例に過ぎない。
 博士が、あるテレピ番組に招かれた時のことであった。核実験の危険性を訴えようと出演したにもかかわらず、司会者は偏見に満ちた質問と非難を加えた。
 「あなたは、科学者としての功績を利用して、共産主義的な活動をしているのではないか?」
 執勘に重ねられる意地悪な聞いに対して、博士は毅然と答えた。
 「虚偽のレッテルを貼ることは、何が真実かを人びとから見えなくしてしまう行為です。それは、憲法に定められた言論の自由を封じる愚かな所行であります」
 博士の正義を知る、多くの同志は喝采した。質問のあまりの質の悪さに激怒したエバ・へレン夫人は、番組終了後、拳を振り上げて、司会者を追及した。その剣幕に圧倒されて、司会者は逃げ回ったという。
 どこの国も嫉妬は同じだ。しかし、夫妻は、デマや嘘などに、断じて負けなかった。名誉を致損する悪質な報道に対しては、博士は断固として訴訟を起こした。
 当時、幾多の人たちが、理不尽な人権侵害に泣き寝入りをさせられていた。
 今の日本も同じだ。戦えずに苦しんでいる人たちのためにも、自分が戦い勝って、「権力の横暴」「言論の暴力」を懲らしめるのだ。これが博士の決心であった。
 そうした強さを見つめてきたご子息は、こう述懐されている。
 「信じられないほどの圧力に立ち向かう、その非凡な能力は、おそらく父の最大の偉業だったと思います」
 このご子息も、若き日には、あのキング博士たちと共に、人権運動に身を投じられた。さらにまた、高名な精神科医として、人びとのため、社会のために、父子一体で、信念の貢献を貫いてこられた人道の指導者である。

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