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日蓮大聖人・池田大作

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友情は人間の証 善友と共に人生を勝ち抜け

2002.8.2 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  「人間の生活においては、至高の善は人との交情である」(『回想録』1、山口光朔・増田英夫訳、社会思想社)とは、イギリスの大歴史家トインビー博士の人生観の一つであった。
 事実、博士と対談をして、長く交友を重ねてきた私は、その心情を明確に感じ取れる一人であると思う。博士は亡くなられるまで、四十歳も若い私と、深き人間としての交友を続けてくださった。
2  「人間と人間との交友を離れて、人間は出来上がらない」という英知の言葉を、かつて聞いた。これは、人間としての法則を深く訴えた名言であると、青春時代の私には、魂に刻みつけられた一つである。
 また、古代の南インドの有名な演言の中には、「良き交友ほど優れた味方はない。悪しき交友ほど不幸をもたらすものもない」(『ティルックラル』高橋孝信訳注、平凡社)と断言されていた。
 よく、私の師である戸田先生は、「独りぼっちで生きることは、自由であり、勝手気ままな振る舞いができるが、その人間はエゴであり、最終的には信用のできない人間だよ」と教えられた。
 人間は、どこまでも人間と交友し、相打ち合い、相結び合いながら、価値ある生涯を作れるものだ。ゆえに、良き友人との交流は善の行為であり、悪しき交友は利用と破滅へ導く、不幸の交友である。
3  先日、関西創価学園、創価大学文学部の人文学科に学び、長年の夢叶って、母校で教鞭を執ることになった、若き英才の哲学者から、ショーぺンハウアー(一七八八年~一八六〇年)についての研究論文が届けられた。
 ショーぺンハウアーは、ドイツの大哲学者であり、ヨーロッパで、いち早く仏教を受容した知性として名高い。
 その思想が、青春時代、いかなる思索の深まりによって形成されたかに、わが創価の学究者は光を当てている。私は嬉しく拝見した。
 若き日のショーぺンハウアーも、大文豪ゲーテとの交友がよく知られている。
 二人の本格的な交流が始まるのは、ゲーテ六十四歳、ショーぺンハウアー二十五歳の頃であった。ほほ四十歳の年齢差があった。
 一方は、すでに世界的にそびえ立つ大詩人。片や、全く無名の哲学青年。しかし、その才能を鋭く見抜いたゲーテは、彼を笑いものにする者に明言した。
 「あの人は私たちのすべての頭上をはるかに超えてどんどん伸びていく人なのだ」(遠山義孝『ショーぺンハウアー』清水書院)
 そして、この青年をしばしば自宅に招いた。
 「自分は他の連中とは語り合うだけだが、ショーぺンハウアーとは哲学する」
 「彼の訪問は私をたいへん刺戟しました。そしてわれわれは互いに教えたり教えられたりします」(同前)
 真に偉大な人は、青年を大切にし、青年と共に真剣に学び続けるものだ。
 トインビー博士も、同じ姿勢であられた。あのポーリング博士も、そうであられた。
 真理の探究に、上も下もない。教授も学生も、求道の同志である。
 世界的に愛誦されてきた、ショーぺンハウアーの言葉がある。
 「すべてのものが感銘を与え、すべてのものがまざまざと意識にのぼる青年時代は、精神の受胎期、精神の花綻びる春だ」(『人生論』橋本文夫訳、桜井書店)という文章である。
 その青春時代に、ゲーテの魂の光を浴びることができたことに、彼は、生涯、深い感謝と尊敬を捧げたのであった。

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