Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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知性の英雄・学生部 民衆と共に 真の人間指導者たれ

2002.7.2 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  「学なければ卑し」とは、ある裁判長の言われた有名な言葉である。その通りだ。
 「学ばざるは卑し」である。私も、若き日より大好きな言葉であった。
 学びゆく人には、未来があり、希望があり、輝く勝利が待っている。学ばざる人は、未来は闇のごとく、人間の魂の輝きがなくなっていく。
 人生の勝利と幸福の決定打の一つは、学びゆく人に軍配があがる。
 ともあれ、激動の時代である。国家であれ、企業であれ、いかなる団体も組織も、生き残りをかけて熾烈な戦いをしている。
2  その一方で、政界、官界、財界をはじめ、率先垂範をすべき指導者層の不祥事が後を絶たない。
 何のための指導者か。私欲を捨てて責任を貫く、至誠のリーダーはいないのか。
 「日本国には・かしこき人人はあるらめども大将のはかり事つたなければ・かひなし」とは、現在をも映す仏法の永遠の鏡である。
 今日ほど、リーダーシップの「質」が問われている時代はないであろう。
 「改革が必要なのか、改革は君がするのか、
 改革が必要であればあるだけ、その成就には『人格』が必要になる」(『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 全く、この大詩人ホイットマンの言葉の通りだ。この言葉を、現在の政治家に伝えてほしいものだ。
 日本国中の人びとが心から待望しているのは、高潔なる「人格」を磨き上げた、人間主義の新しきリーダーである。
 ここに、我が学生部の出現の使命もあるはずだ。
 人間は、それぞれ何かを持ちたいという希望がある。
 ある人は社会的地位を。ある人は財産を。それは複雑雑多である。
 すべて自由ではあるが、「法妙なるが故に人貴し」との御文の通り、最も大事なことは、永遠不滅の絶対的幸福への妙法という大法を持つことである。
 これが釈尊の結論であり、蓮祖の結論であられた。そこにのみ、永遠にわたる我が身と我が一族の、正義と幸福の大道が厳然とあることを忘れまい。
3  学生部の結成。それは四十五年前(昭和三十二年)の、六月三十日であった。
 東京・麻布公会堂に勢揃いした、瞳も涼やかな学徒のその数は約五百人であった。
 戸田先生は、慈父のごとく喜ばれ、最大に激励された。
 "今日、ここに集まった学生部のなかから半分は博士に、そして半分は、それぞれの分野の大指導者に!″
 学生部は、恩師が作られた最後の組織であった。体の表弱が進んでいた先生にとって、学生部への指導は最後の遺言となった。
 この日、私は北海道から、長文の祝電を送った。「夕張炭労事件」で、労働組合の不当な人権弾圧から学会員を守るために奔走していたのである。
 ――新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会、おめでとう。戸田先生のもとに、勇んで巣立ちゆけ。
 その直後の七月三日、魔性の権力は、私を狙い撃ちにし、無実の選挙違反の容疑で逮捕したのだ。「大阪事件」である。
 正義の勢力が、常に傲慢なる黒き権力から嫉まれ、憎まれるのは、人間社会の一つの方程式であるといってよい。ゆえに広宣流布の途上にあって、迫害は必然の法理であり、悲しむよりも喜ぶべき方程式なのだ。
 この学会の弾圧のなかに、若き未来に勝利の勝鬨をあげゆく学生部は結成されたのである。
 迫害のなかの誕生! 弾圧のなかの出現! なんと素晴らしい学生部の原点であったことか。

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