Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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カンボジアの夜明け 民衆よ輝け 平和の太陽よ昇れ!

2002.4.1 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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1  「カンボジアの典型的な農村風景です」
 王立プノンペン大学のプッ・チャムナン学長は、こう言われて、記念の絵画を私に手渡してくださった。
 先日(三月十九日)の創価大学、創価女子短期大学の卒業式でのことである。
 絵の画面には、南国の空のもと、二頭の水牛が車を引いて農道を進み、その向こうに高床式の民家が見える。
 道ばたの池には、睡蓮であろうか、淡紅色の花が浮かんでいる。そこで水遊びをしていた少年の一人が、牛車を操る男性に声をかけている。
 「お父さん、いってらっしゃい」と、明るい声が聞こえてくるような、民衆の平和な生活風景である。
 しかし、現実のカンボジアでは、内戦時代に埋められた数百万個という地雷が、今も多数、地中に残り、人びとは危険と背中合わせの生活を強いられている。
 「平和の悲願」と「戦争の悲惨」と──熱いものが胸にこみ上げ、私は、プッ・チャムナン学長に申し上げた。
 「まさしく、この絵こそ、平和の絵です! この庶民の平和の姿のなかに、本当の幸福があります。『平和』こそ『幸福』です」
 卒業式の席上、光栄にも、私は、王立プノンペン大学初の「名誉教授」の称号を持受した。世界の大学・学術機関から百二十番目となる、この知性の栄誉を、私は平和に献身するわが同志と共に分かち合いたい。
2  「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない」──私は、小説『新・人間革命』の冒頭を、こう書き起こした。
 私自身も、戦争の悲惨さ、平和の尊さを知る一人だ。
 あの太平洋戦争の末期、夜中に空襲を受けて、防空壕から飛び出し、戦火のなかを逃げまどったこともある。
 住み慣れた蒲田の椛谷の家は強制疎開で取り壊された。新たに建てた馬込の家は、空襲で焼かれた。
 長兄はビルマ(現・ミャンマー)で戦死。その公報を受け取った時の、背中を震わせて泣く、母の悲嘆の後ろ姿は、今も忘れることはできない。
 私は、戦争を憎む。戦争に激怒する。
 軍部権力に抵抗し、牢獄に入られた戸田先生と出会った私は、戦争の流転に終止符を打つために、わが人生を平和に捧げようと誓った。
 だからこそ、戦争と暴力の対極に位置する、人間主義の平和勢力の構築に全力で取り組んできたのである。
3  一九六一年(昭和三十六年)二月、私は、「仏法西還」への旅路にあった。ビルマに入り、メンバーを激励し、この国で戦死した長兄を偲んだ。
 カンボジアを初訪問したのは二月十一日の土曜日。私が第三代会長に就任して初めて迎える、わが師の誕生日であった。
 この朝、私はタイを発ち、カンボジアのトンレサップ湖の北側十数キロにあるシエムレアプ市へ飛んだ。
 その街からほど近い、世界的な文明遺産アンコール・ワットを訪問したのである。
 私は、十二世紀の建造になる威容を見つめながら、カンボジアの民衆が永遠の幸福郷を創造されんことを祈った。移動の車の中でも題目を切らさず、大地に妙法を染み込ませる思いで祈念し続けたのである。

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