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日蓮大聖人・池田大作

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勝利と情熱のスペイン 進め! 創価栄光の大航海へ

2002.3.25 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  スペインのカナリア諸島は、古くは「幸運諸島」と呼ばれ、常春の気候に恵まれた大西洋の楽園である。
 ちょうど十年前(一九九二年)の三月、その島々の一つグランカナリア島に、男女約八十人の凛々しき青年たちが集ってきた。
 スペインSGIの第一回青年部総会であった。
 それは小さな会合であったが、一人立つ精鋭が結集したこの総会こそ、「創価ルネサンス」の夜明けを告げ、今日のスペインの大発展の旭日となったのである。
 このグランカナリア島は、テネリフェ島と並ぶカナリアの主島であり、コロンブスが新大陸への航海の途次に寄港したといわれている。
 彼らスペインの青年たちも、この島から「二十一世紀の希望の大航海」へ、勇んで出航したのであった。
2  その一年前、スペインの広布の組織は、障魔の突風に襲われた。
 冷酷で、小心なスペインの元中心者が、あろうことか、日顕一派と手を組み、学会を壊滅させようとしたのだ。
 この中心者が日顕宗の謀略や堕落の実態を隠蔽してきたこともあり、多くのメンバーが無残にも誑かされ、極善の世界を去っていった。
 まさに、「大魔のきたる者どもは一人をけうくん教訓をとしつれば・それひつかけ引懸にして多くの人をとすなり」と仰せの、卑劣な撹乱の構図であった。
 だが、有名なセルバンテスの言葉の通り、「真実というものは痩せ細りも、弱ることもない」。(「セルパンテス」2、会田由訳、『世界古典文学全集』40所収、筑摩書房)
 スペインの真の創価の同志たちの胸には、屈服の二字は微塵もなかった。不屈の闘魂が赤々と燃えていた。
 一九九一年の三月、新たな理事長、婦人部長、書記長の体制が発足し、新生スペインは決意も固く荒波に船出していった。
 彼らは、借聖増上慢という最も悪媒な坊主どもの謀略に惑わされた同志たちに、一人また一人と会い、そして対話し、真実に目覚めさせるために真剣に走り回った。
 訪問しても、ドアを開けてくれない家もあった。一緒に頑張ろうと、共に決意し合った翌日、無情にも心を翻していく人もいた。
 地団駄を踏む思いであった。熱い海し涙を、幾度も堪えた。
 しかし、「スペインの人びとの幸福のために、広宣流布の灯を消してなるものか!」と、彼らは誓い合った。
 わが友は必死であった。真剣であった。懸命であった。
 九一年の六月、フランスのトレッツで行ったSGI総会には、スペインから約百人のメンパーが参加した。残念ながら、その参加者のなかからも学会を去った者がいた。
 文字通り、魔軍との熾烈な攻防戦であった。
 私もスペインの栄光を祈りに祈った。研修会等で同志が来日すると、全魂を注いで真実を語り、勇気を鼓舞した。
 ──わが友よ”炎の唱題”で、スペインを守り抜け。今こそ叫べ、正義の師子吼を!
 ある時は、こう語った。
 「正しいから勝つとは限らない。正しいからこそ、勝たねばならない。悪に勝ってこそ、初めて、善であることが証明されるのだ」
 では、断じて勝つべき正義とは、いったい何か
 「一切衆生に仏性を見る」仏法の正義とは、一個の人間を尊敬し、どこまでも一人ひとりを守り、民衆の幸福の道を聞くことに尽きる。
 ゆえに真実の「仏法の人間主義者」は、この民衆を侮蔑する権威主義、差別主義などの極悪とは、断固たる言論戦で戦うのだ。
3  九一年の十二月、スペインでは、希望の支部大会が全国各地で開催された。
 さらに青年部は、翌年三月に、「3・16」記念の総会を行うことを決めた。
 その舞台を、グランカナリア島の街ラスバルマスにしようと提案したのは、当時の男子部長であった。天魔の策謀に最も深刻な打撃を受けたのが、このカナリア諸島の組織だったのである。
 最初、カナリアと聞いて、躊躇する人もいた。スペイン本土から約二千キロも離れた、アフリカ北西岸の大西洋上に浮かぶ島である。往復の旅費も日程の確保も大変であった。当時は失業率が高く、仕事のないメンバーも多かった。
 しかし、彼らは「青年が突破口を開こう」と、猛然たる唱題を根本に、対話と精鋭の同志の結集に走り始めた。
 そして九二年の三月、苦難を乗り越えて開催した、あの青年部総会を、赫々たる大成功で飾ったのである。
 「二〇〇一年を目標とし、十年で新たなスペインの歴史をつくってみせる!」
 青年たちは、地位も財産もいらない、ただ広宣流布に生き抜くのだと、誇り高く志願した。それは、あの「3・16」の儀式に馳せ参じた青年たちと同じ精神であった。

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