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日蓮大聖人・池田大作

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大ピラミッドを仰ぎて いざや築かむ 大勝利の金字塔

2002.2.25 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  私は、四十年前の一九六二年(昭和三十七年)の二月に、初めてエジプトの首都カイロを訪問した。イスラム諸国の歴訪の一環であり、将来の文化交流への布石を願つてのことである。
 ともあれ、私の「アフリカ大陸」初訪問の、第一歩の歴史でもあった。
 あの悠久のナイル川の西岸、市街地が切れて、延々たる砂漠が始まるギザの台地の上に、不滅の三つのピラミッドは立っている。
 その三つのなかで最大のものが、有名なクフ王の「大ピラミッド」である。
 その巨大さは、基底部から仰ぎ見ると、よくわかる。
 石材を二百段以上も積み上げた壁画が、急勾配でそそり立ち、高さ約百四十メートルもの頂上部は、大空のなかに吸い込まれていくようだ。
 数千年前、天空のなかに、絵画のごとく描かれた大ピラミッドは、崇高にして、厳然たる、大王の鎮座している姿そのものであった。
 これほどの優雅な巨大建築物を、いかなる人たちが造ったのであろうか? 明確な記録はないようだ。
 かつては、一般的に”このピラミッドは奴隷たちを使って造らせた”ということが、言われ通してきた。
 しかし、実物を見て、私は直感した。
 ”これは、決して奴隷による建設ではない……”
 あの堅固さ!
 あの精巧さ!
 いわゆる権力者への恐怖に強いられた仕事には見えない。神々しいほどの知性ある人間の、強靭な意志で造られたと感じた。
 「本当に、ピラミッドは立派だ。すばらしい。
 しかし、それ以上に、一番偉大なのは人間ではないだろうか!
 人間の創造力が一番すばらしいのではないか」
 大ピラミッドの真の建設者をめぐり、青年たちと語り合ったことが懐かしい。
2  大ピラミッドの奴隷建設説は、紀元前五世紀のギリシャの歴史家へロドトスが、”ケオプス(クフ王)という王が人民を強制的に働かせて建設した”と書いていたことから始まっている。
 しかし、今日では、この通説は覆されてきたようだ。
 近年も、最新の発掘成果を踏まえ、”ピラミッド建設の主体者はエジプトの一般市民であった”と結論づけたリポートや書籍、テレビ番組が相次いでいる。
 たとえば、大ピラミッド付近で発掘された労働者の墓地からは、外科手術の跡がある遺骨が見つかったり、女性や子どもたちの遺骨も発見されている。
 つまり、労働者は、怪我をすれば治療を受けられ、作業現場の近くで、それぞれが家庭をもっていたのである。
 また、女性の労働者がいたという可能性も大きい。
 さらに、大ピラミッド内部や石切り場では、「クフの友人たち」とか、「国王万歳」と読める落書きも見つかっている。
 じつに、文字の書ける労働者がいたことは明確であり、その人民の声には、強制的に酷使された怨念というような影は見当たらない。
 それどころか、喜びや誇りをもって、この大建設作業に参加しているかのように見える。
 かつて、フランスのエジプト学の権威であるジャン・ルクラン博士は、私に言われた。
 「ピラミッドは、人間と永遠に生きる太陽神との交流の場でした」
 「(クフ王の大ピラミッドの建設は)信仰と正直さをもった心が、それを成し遂げたのです」
 今も、その言葉が、私の脳裏から消えない。
 つまり、「永遠の太陽の高みへ!」と、信仰と誠実さをもつ、偉大なる民衆が真剣に力を合わせ、不可能をも可能にする創造力が燃え上がって、ピラミッドは出来上がったというのである。
 まさに、大ピラミッドは、民衆が奴隷ではなく、建設の主体者として働いたからこそ築かれた「奇跡の塔」であり、「不滅の金字塔」であったと思うのだ。
3  ここに重要な「人間学」のポイントがあると思う。
 なんであれ、偉大なる仕事というものは、自ら責任を担い立つ、勇敢なる人間によって為されていくということである。
 嫌々ながら、人に「やらされている」という暗い意識があるかぎり、本当に一流の仕事は、絶対にできるものではない。
 戸田先生も、こうした無責任な”雇われ根性”を、もっとも嫌われた。
 ことに、青年のなかに、言われないと何もやらない受け身的な根性の者がいたら厳しく叱られた。
 いわんや、われらの広宣流布という”仕事”は、本質的に深き使命感と責任感に発する崇高な戦いだ。

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