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日蓮大聖人・池田大作

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欧州広布の原点・デンマーク 麗しき天地を照らせ 人間革命の光

2001.10.30 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

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1  「世界を変えたいと思う、ならば、/人間を変えなければならない。/人間を変えたいと思うならば、/自分が変わらなければならない。/そして皆が/自分を変革したいと思えるように/世界の変革へと進め!」
 これは、本年、北欧デンマークの桂冠詩人エスター・グレースさんが、私に贈ってくだ詩の一節である。
 「人間革命」──これこそ私たちが勝ち取るべき平和への第一歩である。
 その希望の道を開かんと、私が、初のヨーロッパ歴訪に飛び立って四十年になる。
 一九六一年(昭和三十六年)の十月五日に、まずデンマークに入り、西ドイツ(当時)、オランダ、フランス、イギリス、イタリアなどを回り、再びデンマークを経由して帰国したのは、十月の二十三日であった。
2  私が降り立ったデンマークの都コぺンハーゲンは、美しい紅葉に包まれていた。
 この時は、まだ、学会員は一人もいなかった。しかし、ここ北欧の天地でも、やがて「地涌の義」のままに、わが同志は、「人間革命」の光を求めて立ち上がった。
 それは、二人の青年から始まったといってよい。
 現在の理事長と、副理事長である。
 二人は、デンマークが世界に誇る国民高等学校(フォルケホイスコーレ)のアスコー校出身である。昨年九月、私に教育貢献賞を授与してくださった名門校である。
 国民高等学校は、十九世紀半ば、デンマークの”近代教育の父”グルントヴイの構想に基づいて設立された、成人教育の学校である。これを民衆に大きく開き、発展させたのが後継者コルであった。
 一八六五年に開校したアスコー校には、この師弟の教育への情熱が、脈々と受け継がれているといわれる。
 思えば、”創価教育の父”牧口先生が、『創価教育学体系』第一巻の箴言で紹介されたのも、グルントヴィとコルの師弟の姿であった。
 長年、デンマークで社会教育に携わってこられた理事長は、一九六五年、二十一歳の若さで、日本からこの使命の国に渡った。
 農場主の家に住み込んで働き、デンマーク語を基礎から学ぶために、小学校一年生のクラスで勉強した。そして、アスコー国民高等学校へ。
 二年目に寮で同室となったのが、副理事長であった。
 少年時代から信心していた理事長は、自然に副理事長に仏法の話をした。
 決定的なきっかけは、ある日、二人が尊敬する校長先生が語った言葉であった。
 「フランス革命は政治革命、ロシア革命は経済革命であった。今度、革命が起こるとしたら、それは『人間の内面的な革命』である」──副理事長は、跳び上がらんばかりに驚いた。
 ”彼が口癖のように話していた、あの「人間革命」のことではないか!”
 副理事長は、一九六七年十二月に入会。そして翌年、「もっと信心を学びたい」と求めて来日するのである。
3  六八年六月、東京・台東体育館で行われた、男子部の幹部会でのことであった。
 この会合に出た私は、会場一階の中央に目をとめた。あごひげを蓄えた、金髪の青年に気づいたからである。
 私は、あいさつに立つと、開口一番、皆に紹介した。
 「今日は、外国人の同志も参加されています」
 どよめく拍手のなか、金髪の青年は青い目を丸くして、前の方へ歩み寄ってきた。
 私は、壇上からで申し訳なかったが、彼と固い握手を交わし、心から激励した。私をじっと見つめる瞳は、宝石のように光っていた。
 彼こそ、二十一歳の副理事長であった。
 後年伺ったことであるが、彼は、あの会合中、幹部の絶叫調の話に、かなり驚いていたようだ。しかし、私の声からは、温かさ、優しさといった、分け隔てない人間味を感じてくれたという。
 「声仏事」である。言葉はわからなくとも、生命は確かに響き合う。根本は、相手を思い、同志を思う、温かい心であろう。
 その麗しき仏法の世界を、彼は感じたのであった。
 祖国へ帰った副理事長は、理事長と二人三脚、デンマークに妙法の種を植える、尊きパイオニアとなって、決然と立ち上がった。
 二人は走った。コぺンハーゲン市内はもちろん、ユトランド半島のオールボーやオーフス、フュン島のオーデンセなどへ、車やフェリーを利用して広布の道を走った。
 成熟した自由の国である。信心の話も、拒絶しないで聞いてはくれる。だが、布教はなかなか進まなかった。
 ”仏教はアジアの宗教。デンマークには合わない”との無言の壁、伝統の壁に、幾たびとなく、ぶつかりながら、仏法という「人間の宗教」を粘り強く訴え、誠実に対話を重ね、また重ねていったのである。

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