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日蓮大聖人・池田大作

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世界の若き指導者に贈る 幕は開いた! 世界広布”第二章”

2001.10.9 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  十九世紀イギリスの天文学者ハーシェルは、若き二十歳のころ、友人にこう語った。
 「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
 これは、日蓮大聖人を尊敬していた思想家・内村鑑三が、その著『後世への最大遺物』(岩波文庫)に紹介した有名な言葉である。
 いかなる宿命によりてか、六十億の人類が共に生を受けている、青く円い地球。
 しかし、暴力と争闘と苦悩の闇が去らない、この地球。
 誰もが幸福を願っている。
 誰もが平和を願っている。
 その人類の悲願を実現するために、地球をより善くするために、多くの哲学者や宗教家たちが立ち上がった。
 そしてまた、今、われら創価の同志は厳然と立ち上がったのだ! それは、大慈大悲の世界広宣流布という万年の指標をめざして、前進を開始しているのだ。
2  二十一世紀最初の「SGI青年研修会」が、過日、大成功で終了した(九月九日)。
 世界五十カ国・地域から、生き生きと集い来た勇敢なる求道者たちは、約四百五十人の青年たちであった。仏法求道の生命は、赤々と燃え盛り、信念と信念を結びゆく、深くして壮大な平和の連帯が始まった。
 私は、嬉しかった。この若き生命の躍動が、必ずや世界を舞台に、平和への大活躍をしゆくであろう。その姿を目の当たりにして、涙が出た。
 皆、誠実な青年であった。皆、勇敢な青年であった。皆、立派な求道心の青年たちであった。どれほど牧口先生が、また戸田先生がお褒めくださり、そして、日蓮大聖人が御賞讃くださることか!
 思えば、海外メンバーが、初めて団体で来日したのは、一九六一年(昭和三十六年)の十一月、アメリカから代表六十八人が来られた時のことである。
 その多くは、国際結婚して渡米していた日系婦人たちであった。
 前年の十月、私は初めて北・南米を訪問し、世界平和への第一歩を踏み出した。
 この折に出会った彼女たちは、異国の生活に泣いてばかりいた。それが広布のパイオニアの使命に目覚め、笑顔で来日したあの姿は、あまりにも立派な決意に燃えた姿であった。
 皆が讃嘆した。
 皆が驚いた。
 あの日の光景は、今もって語り草である。
 これが世界の研修会の”第一回”であった。ちょうど四十年前のことである。
 当時から見れば隔世の感を覚えるが、ただただ大仏法を求めて日本に来るというのは、今日でもなお、決して簡単なことではない。
 おそらく、来日された四百五十人すべての方々に、四百五十の尊き人間ドラマがあったにちがいない。
 日蓮大聖人は、流罪地の佐渡を訪ねた女性信徒に、「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」と、健気な求道の志を讃えておられる。私も、若き広布の英雄たちに、健康あれ、栄光あれ、勝利あれと、常に最大の賞讃を惜しまない。
3  受け入れ側の配慮で、ある国のメンバーに、日本の観光名所的な場所への案内を提案したところ、彼らは言下に断った。
 「私たちは、この日本に、師匠を、仏法を求めて来たんです遊んでいる時聞は少しもないんです」
 また、別のメンバーは、懇談していた幹部が関西出身と聞くや、目を輝かせ、「オー、カンサイ・スピリット!」と感嘆の声をあげた。
 バーの真剣さからは、なんとしても学会精神の真髄に触れ、生命に刻んで帰りたいとの、析りにも似た必死の思いが伝わってくるのであった。
 研修のなかで、講師が質問を求めれば、すかさず、幾つもの手があがる。
 休憩時聞になると、幹部をつかまえては、個人指導を求める。やがて、会場のあちらこらに、通訳を介しての懇談の輪が広がった。
 自身の悩みを解決することだけが目的ではない。母国で共に戦う同志の、さまざまな問題も提起されていた。
 政情の不安定な国もある。
 深刻な不況や地震の被害に見舞われ、多くの民衆が苦しんでいる国もある。
 それこそ、国の未来を一身に背負うような重大な覚悟で、訪日されたメンバーが多い。
 仏法の「立正安国」の精神を学びたい! 自分たちが、祖国の平和と社会の繁栄を断じて築くのだ!
 メンバーは、帰国してから確信をもって皆に伝えられるように、一言も聞き逃すまいと聞き入っていた。

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