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日蓮大聖人・池田大作

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「青年訓」50年 戦おう! 広宣流布の若き師子よ

2001.10.1 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  「あなたは若いのです。戦いは必ずやってくるでしょう。人生は高貴な魂をもって前進する者には戦いを免除しません」(『ロラン=マルヴィーダ 往復書簡(1890-91)』南大路振一訳、みすず書房)
 これは、ある老婦人が、若き日の文豪ロマン・ロランに贈った黄金の言葉である。
 よく、戸田先生は言われていた。
 「牧口先生は、青年が大好きであった。私も、青年が大好きである」
 第三代のこの私も、青年を愛する。信頼し、尊敬する。大いなる期待をかけ、成長を祈り、待っている。
 ちょうど五十年前(昭和二十六年)の秋、戸田先生は、誕生して二カ月半の青年部に、永達の指針「青年訓」を示してくださった。
 聖教新聞(十月一日付)に発表時、「青年訓」は男女青年部の班長に贈られたものであった。「班」は、当時の青年部の最前線組織であった。
 それは樹木でいえば、地中深く広がる根である。最前線の青年が、生き生きと戦い、養分を吸収し、前進しているかどうか。これこそが広宣流布の大原動力といってよい。
 青年には、指標が必要だ。
 なんのための戦いなのか。
 自らの使命はなんなのか。
 その自覚が深ければ深いほど、行動の炎は、生命の深部から燃え上がるからだ。
2  「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
 「青年訓」の鮮烈なる冒頭の一節から、我ら青年は、血湧き肉踊った。
 「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」
 学会情神を会得せよ!
 同志の士気を鼓舞せよ!
 広宣流布大願の中心人物たることを自覚せよ!
 師の呼びかけに、皆、勇気百倍、奮い立った。
 当時、私は、まさに、その男子部の班長であった。
 ”広布の主体者は我なり。この「青年訓」は自分にいただいた指針だ!″――私は、そう生命に刻んだ。
 では、何をもって、先生にお応えするのか。第一歩の戦いは明確であった。
 ”戸田先生からお預かりした、わが班員を、自分以上の人材に成長させよう! 池田班を、二倍、三倍、十倍と拡大していくのだ!″
 しかし、戸田先生が顧問をされる会社で営業部長の重責を担う毎日は、自由に活動することを私に許さなかった。
 死中に活を求めて、スター卜した会社を軌道に乗せることは至難の業であり、苦闘の連続であった。微熱も続き、いたく体調も悪かった。
 男子部の会合にも出られない日が続いた。「池田は退転だよ!」と、冷淡に言い放つ幹部までいた。
3  だが、私は決意していた。
 ”御本尊はご存じである。戸田先生はご存じである。
 恵まれた状況のなかでなら、誰でも戦える。私は、先生の弟子だ! 師子の子だ!
 どんなに苦しくとも、辛くとも、必ず勝ってみせる!″
 勇気とは何か。弱い自分に打ち勝ち、環境に負けないことだ! 学会活動から断じて逃げないことだ!
 時間がないからこそ、一瞬一瞬を借しみながら、知恵を絞って戦いの手を尽くした。
 カバンには、常にハガキと便箋を入れ、時間を見つけては、友に激励の手紙を書きに書いた。綴りに綴った。個人指導にも、折伏の実践にも悠然と、挑戦していった。
 一歩も引けない、苦闘のなかでの仏道修行であった。
 しかし、それがあったればこそ、今の私もある。
 仏法では「願兼於業」(願いが業を兼ねる)といって、菩薩は、願って苦悩多き悪世に生まれてくると説く。
 また、人のため、広布のために、あえて労苦の汗を流しゆく人生こそ、至高の人生であると教えている。困難のなかでこそ、他者の苦悩に同苦し、励ましていける人間力をきた鍛えることができるのだ。
 七月の男子部の結成から半年後、二十二班あるなかで、わが池田班は、当時の全男子部員の一割近くを擁する、屈指の大班に拡大していた。
 その戦いを、わが師はじっとご覧になっておられた。
 翌年の一月、先生は私を」蒲田支部の支部幹事に任命されたのである。

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