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日蓮大聖人・池田大作

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人間の大地・北海道 友よ輝け 君の戦野で断じて勝て!

2001.9.27 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  かつて、次のような話を伺ったことがある。
 ある厳寒の冬の夜のこと。吹雪が舞い上がるなかにあって、部屋を暖かくし、テレビを見ながら、団欒のひと時を過ごしていた家族の聞で、隣の家の学会員のことが話題になった。いつもは学会員の批判ばかりしていたようだが、その晩は違っていた。
 ──こうした寒い夜道でも、あの学会員は、一家団欒の時間も割いて、人のため、同志のために、ある時は見舞いに行き、ある時は仏法哲学の会合に行くらしい。あまりにも健気な姿である。こんな利己主義で、いい加減な人間が多い時代に、毅然として、正しい人道主義者として、毎日、毎夜、活躍している。
 本当に神々しい、人間の至極の姿だと思う。心から驚き、尊敬の念を覚える。
 以前は、社会的地位がないとか、”新興宗教”だとか言って、嘲笑ったり、けなしたりしたが、今となっては罰当たりだったと思う──!と。
 後日、慙愧に堪えない心情を、ある友人に語っておったそうだ。
 創価の菩薩の行動は、着実に、民衆の大地を耕し、人びとの心を変えていく。
2  この九月十四日から、オーストリアの世界的ソプラノ歌手ウンカルト=サイフェルトさんが、北海道北見市を最初として、全国各地で名曲コンサートを行っている。
 哲学博士であり、元・文部次官でもあるサイフェルトさんとは、私も幾たびとなく、お会いし、今回も、八王子の東京牧口記念会館で再会を喜び合った。
 今でも懐かしく思い出すが、十年前(一九九一年)の八月二十四日、夏の北海道で懇談した時、彼女は、目を輝かせながら語っておられた。
 「私は、創価学会の発展の秘訣がわかるような気がします。それは、ここには自由と平等があるからです!」
 悩乱の宗門が「仏意仏勅の学会」を破門する三カ月前である。当時、愚劣な坊主らは僧俗差別の邪義をもって学会員に襲いかかった。
 しかし、「悪人どもがどんなにあばれても、賢者の額を飾る月桂冠は、落ちることもしおれることもない」(ポエティウス「哲学の慰め」渡辺義雄訳、『世界人生論全集』3所収、筑摩書房)
 迫害の怒涛のなかを、北海道の同志は、真の自由と平等のため、私と共に邪悪との戦いを開始した。
 「人間のための宗教」という正義の旗を高く掲げて!
3  苦しんでいる人を励まし、苦悩と絶望の闇から救っていくのが、真の宗教だ。
 学会は、ありとあらゆる不幸と苦難の黒雲を払い、邪悪の暗闇を打ち破って、人びとに勇気と希望の光を送る。
 あの時の北海道訪問(九一年の八月十五日から二十七日)でも、私は、函館、大沼、伊達、室蘭、札幌等を回り、幾百幾千の同志を励まし続けた。
 本部幹部会を北海道文化会館で行った翌日(二十五日)、私は、会館にほど近い、駅開森林公園へ、同志と共に足を運んだ。
 その時、小さな男の子を抱いた壮年が、夫人と女の子と一緒に駆け寄ってこられた。男の子は、目が不自由なようであった。
 「先生、この子が私に信心を教えてくれたんです……」
 若き父親が一生懸命に語ってくださった。
 十一歳になる長男は、生後まもなく、難病と診断されたという。
 この壮年は、それまで信心に反対であったが、「この子のために、一家の幸せのために」と入会し、宿命の転換への戦いを始めた。すでに信心していた夫人も必死だった。
 ことに、父親が真剣に題目を唱え、学会活動に励むと、息子さんの顔色もよくなり、手足も活発に動いた。
 ”親子一体”の懸命な信心の戦いであった。
 息子さんの頭から足まで撫でながら、私は、ご夫妻に強く語った。
 「大丈夫ですよ。安心して頑張ってください」
 涙のなかに光る、ご家族の笑顔がまぶしかった。
 あれから十年。父は支部長、母は支部副婦人部長として、「広布拡大・幸福拡大」の先頭に立つ。
 息子さんは現在二十一歳で、心豊かな青年に成長している。
 あの日、私と握手を交わした創価幼稚園出身の妹さんも、女子部員として生き生きと活躍する。
 福光に輝きゆくご一家の姿が、本当に嬉しい。

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