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日蓮大聖人・池田大作

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永遠に不滅・宮城の人材城 大勝利で開けり! 東北の新世紀

2001.7.19 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  近代中国の大指導者であった孫文と共に戦った夫人、宋慶齢の有名な言葉がある。
 「正義と不正義の間に中間の立場はなく、中立はありえません」(イスラエル・エプシュタイン『宋慶齢』上、久保田博子訳、サイマル出版会)
 まったく、その通りである。
 東北方面の広宣流布の闘争の苦難と風雪の半世紀は、万代に不滅の功績を残す、正義の法戦であった。
 彼らは、真剣に戦った。寒さと戦った。生活と戦った。貧困と戦った
 あの不屈の魂は、そして、庶民の健気な汗と涙の労苦は、偉大なる人間の歴史を創り上げた。
 東北の方々は、実直で粘り強い。誠実であられる。誰からも信頼される。
 その東北の中心拠点は、仙台であろう。
 今でも、多くの懐かしい方々が大指導者となって戦っておられる。嬉しい限りだ。
2  この東北に、私が初めて訪問したのは、いわゆる東北広布の勃興期にあたる、一九五一年(昭和二十六年)の七月十五日であった。
 午前七時過ぎ、私は、仙台駅で夜行列車を降りた。数人の派遣幹部と一緒である。
 雨が降るなか、朝早くから大勢の東北の同志の方々が、喜々として出迎えてくださった。嬉しかった。
 私は、戸田先生の壮大なる広宣流布の先兵として、この青葉輝く杜の都へ、決意を深く秘め、第一歩を踏み出したのである。
 東北の同志の胸に、我らが師匠の、魂の炎を点火するために──。
 この東北初訪問の四日前の七月十一日の夕方、東京地方は激しい雨が降っていた。
 その日の夜は、西神田にある、小さな学会本部に、約百八十人の青年が、希望に燃えた瞳を輝かせながら集まってきた。
 この会場は、戸田先生が「吉田松陰の松下村塾なり」と名実共に自負しておられた会場である。
 この日、この時、この場所で、我らの人生の師・戸田城聖先生のもと、あの歴史的な、広布を担い立つ男子青年部の結成式が行われたのである。
 門下生たちは、皆、使命に燃えて、生き生きとしていた。勇敢であった。求道心に燃えていた。
 いわゆる広宣流布の革命児の自負心を秘めて、意気盛んに結集したのであった。
 戸田先生の全生命も、真剣勝負の命に震えていた。
 その、弟子たちを思う、あまりにも深き慈愛と期待は、無限であった。
 師は、厳然と言われた。
 「きょう集まられた諸君の中から、必ずや次の学会の会長が現れるであろう。
 必ず、この中におられることと信ずる」
 皆は呆然とした。想像だにせぬ言葉であった。
 それは、生死を超えて、崇高な広宣流布の使命を分かち持つ、師弟不二の弟子のみがわかる言々句々であった。
 私は一人、師の甚深の言葉を、厳粛な魂の儀式として、生命に刻みつけた。
 師の深い指導は続いた。
 「広宣流布は、私の絶対やり遂げねばならぬ使命であり、君たちも、その尊い地位を自覚してもらいたい。
 近くは明治の革命をみても、原動力は青年であり、はるか大聖人御在世のときも、弟子の方々は、みな青年であった。
 どうか、諸君の手で、この尊い大使命を達成していただきたい」
 この指南は、鋭敏な青年の胸に、鋭く深く刻まれた。
 光輝ある、この日、私は、青年部の男子部班長という任命を受けた。最高幹部でなくして、一兵卒である。
3  初の仙台入りの日の午後、若き私は、人間と人間が生き抜き、向上し合う、いわゆる座談会へ出席した。
 そして、結核と闘った自分の信仰体験を語るとともに、御書の講義も行った。
 まず、二十人町の会場を提供してくださった、ご家族に丁重にご挨拶をして、常日頃の尊いご献身に心からの感謝を述べた。
 この会場のご夫妻は、お二人とも逝去なされた。四人のお子様は、皆、この東北で幹部として活躍されている。
 狭い部屋であったが、六十人ほどの人が詰めかけた会合であったと記憶する。新来の方々も、十人近く見えておったようだ。
 さまざまな質問があった。誠実に応対し、どうやら納得してもらえる答えができたように、覚えている。
 しかし、それよりも、真剣に質問される、人生の宿命と戦い、生き抜いておられる方々の求道心に、私は感動した。
 明快に確信をもって、お答えしながら、その方が生まれ変わったように、すばらしき人生を生きゆかれんことを、ただただ祈り、見つめていた。
 そのためには、自分自身がもっともっと仏法(ぷっぽう)を学び、行じ、社会の中で探まれながら、
 苦労されている方々を納得させられる指導者にならねばならないと、痛感した。
 仏法は観念ではない。坊主の説くような、あの全く意味のわからぬ説教でもない。
 信仰は生きる力だ。生活の力だ。宿命打開の力だ。幸福になる力だ。生涯にわたって、生命と生活の大勝利者になるための信仰だ。
 そこまで満足させられる指導者でなければ意味がないと、私は思った。
 幸い、この座談会では、入会を希望する方も相次いだ。
 引き続いて、私は夜には、仙台支部の拠点の一つであるお宅に伺って、深遠なる仏法の御書の講義を担当させていただいた。

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