Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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戦う愛知の誉れ 広布の堅塁 卑劣な権力に勝てり!

2001.7.10 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  中部は断固として勝った。 愛知は悠然として勝利をした。
 長い長い間、卑劣な権力者たちに恫喝され、あらゆる陰謀のなか、策略に陥れられながら、厳然と正義のために戦い抜いて、中部は勝った。断じて勝った。
 御聖訓には、「過去および現在の末法の法華経の行者を軽蔑したり、賤しめる国主や臣下、また万民は、たとえ始めは何事もないようであっても、最後に滅びないものはない」(御書一一九〇ページ、通解)と仰せである。
 その通りの倣慢極まりない権力者たちは、この御書に寸分違わぬ末路となった。
 それは、蓮祖の仏法の厳しくも明確なる指標が、全部、正しいという証明だ。
2  ゲーテは、社会の混乱の要因は、権力者の邪悪にあると喝破し、そして言った。
 「どんな不正に対しても、私はもう黙ってはおられません」(エッカーマン『ゲーテとの対話』下、山下肇訳、岩波文庫)
 わが中部の正義の友もまた、断じて沈黙しなかった。雄々しき師子となりて、叫び、吼えた。
 「正しい時に遭い穏かにしているのは美しいが、正しからざる時に遭い安閑としているのは醜いものだ。臆病であるからだ」(『ヒューペリオン』渡辺格司訳、岩波文庫)とは、ドイツの大詩人ヘルダーリンの言葉である。
 つまり、愛知の同志は、臆病ではなかったのだ。勇敢であったのだ。
 ゆえに、勝ったのだ。
3  それは、一九七六年(昭和五十一年)、ちょうど二十五年前の七月二十七日(火曜日)のことであった。
 名古屋文化会館の大広間で、中部の記念幹部会が行われた。
 愛知と三重と岐阜の団結を象徴する「中部旗」が授与され、「中郡の日」の淵源となった歴史的な会合である。
 私の決意は深かった。
 ”今日の出会いを、中部の苦しき宿命を転換する原点にしたい″
 そして、ここ中部で、ここ愛知で、「熱原の三烈士」の歌を発表したい、と念願していたのである。
 それは、なぜか。
 「三烈士」の詩は、この五年前、”言論問題″を発端とする学会攻撃のなかで発表した、五十五連の長編詩であった。
 私は、中部をはじめ、大切な同志への思いを、七百年前に殉教した「熱原の三烈士」に託して、広宣流布に戦闘する誉れを詠った。
 その長編詩から六連を選んで、当時、創価学園の音楽教員に曲をつけていただいたのである。

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