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日蓮大聖人・池田大作

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新世紀の電源地・埼玉 勇気で勝て 大仏法の旭日よ昇れ!

2001.7.7 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  「勝つ」と決めた一念ほど強いものはない。
 フランスの哲人アランも、こう言っている。
 「人間が道を切り拓いていくための原動力は自分自身の意志のなかにしか見つからない」(『プロポ』1、山崎庸一郎訳、みすず書房の訳注から)
2  ちょうど五十年前の、一九五一年(昭和二十六年)九月のことである。
 私は、夕暮れの池袋駅から東武東上線に乗った。
 電車は板橋を抜け、今の地名で、和光、朝霞、新座、志木、富士見、上福岡と、家々に明かりが灯る埼玉の天地を走り、やがて川越に着いた。
 埼玉の志木支部川越地区の「地区講義」を担当するためであった。
 戸田先生は会長就任後、命を削って「法華経の方便品・寿量品講義」や「御書講義」を開始してくださった。
 それと合わせて、私たち弟子の中から、まず二十四人を「講義部員」に任命し、一人ひとりが、組織の第一線で、御書講義を担当するよう命ぜられたのである。
 地区講義を担当することになった講師には、私も含めて青年が多かった。
 現場第一である。実戦第一である。これが、稀有の師であられる戸田先生の、弟子たちに対する訓練であった。
 それだけに、先生がしてくださる、担当者への事前の講義は峻厳であった。
 先生は、講師の根本精神をこう教えてくださった。
 「ただ講義すればいいというものではないぞ。皆に信心の楔を打ってくるんだ!」
 「戸田の名代として、毅然として行ってきなさい!」
 その言葉は、私たちの胸に突き刺さった。
 当時、私は、教学部の助師で、男子部の班長であった。年齢は二十三歳。あまりにも若かった。
 しかし、わが胸には”戸田先生の名代なのだ″と、誉れ高き使命の炎が燃え立っていた。
 師弟不二の師匠に仕え、甚深の心を体して、私たちは広宣流布の地涌の戦士として戦える。この世の人生にあって、これ以上の名誉と誇りがあろうか!
3  私が講義した御書は、次のような諸御抄であった。
 「日厳尼御前御返事」「佐渡御書」「治病大小権実違目」「聖人御難事」「如説修行抄」「松野殿御返事」「生死一大事血脈抄」「三大秘法禀承事」「阿仏房尼御前御返事」「日女御前御返事」「寺泊御書」などである。
 一回一回の真剣な講義が、同志の勇気の源泉となり、人間革命の力となり、世界広布への絶大なるエネルギーとなっていった。
 だからこそ、毎回毎回の講義は必死であった。真摯に研鑚に励み、題目をしっかり唱え、満々たる生命力で臨んだ。
 最初のころは、まだ、御書全集が発刊される前であり、参加者の中には、拝読御書の教科書でもある『大白蓮華』さえも持っていない人がいた。
 しかし、耳からでもよい、皮膚からでもよい、日蓮大仏法の精髄を五体に刻んでほしかった。これしか、広布の闘士はできないからだ。
 ある日、参加者に「わかりましたか」と伺うと、一人の壮年の元気ある声が返ってきた。
 「いや、本当に感動し、気持ちがよかったです。勇気が湧いてきました」
 また、一人の壮年が、
 「戦います! 私たちは、すごい仏法を、目の覚める思いで自分のものにできました」と。何か、生命で感じてくださったようであった。

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