Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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熱原法難の歴史(上) 弟子が立ち上がった大闘争

2001.2.6 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  それは、一九七九年(昭和五十四年)、二十世紀の″七つの鐘″が鳴り終わる、その時であった。
 盛大に祝賀されるべき五月の三日を、創価学会は法難の渦中で迎えた。
 御聖訓に「無量無辺の僧等・集りて国主に讒言して流し失ふべし」と説かれる通り、悪侶による迫害であった。
2  権力と癒着して腐敗した古き「権威」と、民衆の大地に根ざした清新な「正義」の対決。
 いつの時代にも、「宗教革命」には、この構図が如実に現れる。
 新たに興隆する民衆の勢力を妬み、押さえ込もうとして、旧来の権威・権力は、あらゆる謀略や画策を用いる。
 釈尊の時代もそうであった。日蓮大聖人の御在世は、なおさらである。
 私の会長辞任に前後して、人びとの心は撹乱され、揺れ動いた。そのなかにあって、私は、「熱原の法難」の歴史を、鑑として見つめていたのである。
 「熱原の三烈士」の斬首は、一二七九年(弘安二年)といわれる。
 ″魂の斬首″というべき、残忍な宗門の学会弾圧は、それから満七百年後に始まった。
 不思議な時の符合と言わざるをえなかった。
3  「僧侶が彼の仏法を失うべし」とは、撰時抄の一節である。
 熱原の法難もまた、腐敗した僧侶によって引き起こされた。
 それも、仏法の正統を最も護り伝えるべき、当時の天台宗の寺院が、陰謀の巣窟となった。
 源流である天台大師、また伝教大師の精神は消え失せ、有力寺院の長の地位は、特権階級の子弟が独占した。
 寺院は、もはや清浄な信仰の道場ではなく、民衆を睥睨し支配する機関と成り下がってしまったといってよい。
 かつて、大聖人が一切経を閲覧された実相寺や、日興上人が幼少の日、修学された四十九院、さらに滝泉寺など、富士方面の諸寺にあっても、高僧らは堕落の極みにあった。
 その悪事を、若き日興上人は徹底的に呵責なされた。
 これが、開祖の御精神である。そして学会精神である。
 ゆえに牧口初代会長は、すでに戦時中、「大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当する」(『牧口常三郎全集』10、第三文明社)として、宗門の違背を痛烈に破折されたのである。

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