Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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濃路を走る歓び 広布の道は正義の道 師子の道!

2001.2.3 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  彼は自転車に乗って、走りに走って、同志の家に向かった。その自転車は、もう古くて寿命が近づいているように見える。
 しかし、彼は走った。
 広宣流布のために走った。
 友の激励のために走った。
 同志の結束のために走った。
 ある時は自転車が動かなくなっても、上空を仰ぎ、天下一の詩人になったつもりで、清らかな心で、「我は幸福者なり。私は幸福者なり」と自負し、銀河の星々を眺めながら歩いたにちがいない。
 ある時は懐かしき歌を歌い、ある時は威風堂々と、学会歌を口ずさみながら!
2  私たちが進む道には、不気味な、夜半の道もあった。人影のない恐ろしい道もあった。
 とくに、深夜に鬼押出しなど浅間山麓を通らねばならない時は、ひとしお怖かったと、ある婦人部の方が思い出を懐かしそうに振り返りながら、語っておられた。
 しかし、私たちのこの真っ暗闇の帰り道は、テレビのドラマで見る王侯たちが、威厳をもって家来を従え、立派な宮殿を肩をいからせながら歩いている道よりも、最高に優雅な道である。そして、偉大な仏道修行の正直な道であることを誇りとする。
 信心が嫌いだからと睨み付ける人もいるが、その感情の風は、自分自身に吹き返されていくことだろう。
 「認識せずして評価することは、最も高慢な邪智である」とは、先哲の叫びである。
 「広宣流布」という永遠不滅の平和のために戦う人を、眉をひそめて軽蔑する人間、また、身を震わせながら嫉妬の感情を剥き出しにする人間は、いずれ汝自身が諸天より厳しく見放される。
 正義の道を外れて、愚かにも邪道に迷い込み、最後は峻厳な試練に襲われるであろう。
 私たちは、誇り高く、豊かな心で、堂々と、この夜の道を歩み帰る。
 午前一時を回ってしまった時もある。しかし、誰人にも邪魔されない、この宝石のごとき命運の道は、厳密に私自身を永遠に仏にしてくれる、絶対なる信頼の道なのだ。
 長野の道。そして、長野の夜の道。霊鷲山に行く、なんと楽しき道か! なんと誇り高き道か!
3   ♪兎追いしかの山
   小鮒釣りしかの川
   夢は今もめぐりて
   忘れがたき故郷
 この「故郷」の詩も、信州の四季から生まれた。豊田村出身の高野辰之博士の作詞である。
 奥信濃の長く厳しい冬を耐えに耐えて、ついに迎える春は、どれほど美しく躍動し、どれほど深い歓びに満ちているか。
 あの心弾む「春が来た」の歌も、「菜の花畠に入日薄れ」の一節で始まる「朧月夜」の名歌も、信州育ちの博士だからこそ生き生きと謳い上げることができたのであろう。
 信濃は、日本の心のふるさとといってよい。
 信越婦人部長は、朗らかに語られていた。
 「長野は、首都圏の人を対象にしたある調査で、日本で一番、移り住んでみたい地域の第一位です。また、男性の長寿日本一も長野です。
 この詩情豊かな清き山河を、二十一世紀にも、私たちは厳然と守り伝えていきたい」と。
 「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清し」という「依正不二」の生命哲学は、いやまして光彩を強めている。

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