Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創価の新世紀 先駆の同志よ 勇敢に一人立て!

2001.1.18 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  いよいよ、「創価の世紀」の希望の太陽は昇った。
 今、私の胸には、上機嫌で楽しんでいる、文豪ゲーテの歌声が聞こえてくる。
 「この地球にはまだ、
 偉大な仕事をなすべき余地がある。
 驚歎すべきことが成されなければならぬ。
 私はひたむきに努力をすべき力を感じる」(『ファウスト』相良守峯訳、岩波文庫)
 彼の得意の歌声は、誰人にも取り消すことのできない宣誓に思えた。
 私の周りの友達も、その詩に大喝采を送っている。
 われらの宣誓は、「広宣流布」である。
 わが同志は、皆、崇高にして尊貴なる、大偉業を成し遂げんとする盟友である。生涯にわたって、平和と正義の大航海に旅立った同志たちだ。
 この壮大なる旅は、自分自身の可能性を極限まで広げ抜く、「汝自身に勝つ」、晴れがましき挑戦といってよい。
 自分自身の尊き歴史を残すことだ。自分自身の構想がここまで達成したという、赫々たる偉業を後世に残し、戦い抜くことだ。
2  ちょうど百年前の一九〇一年(明治三十四年)二月の五日、現在の福岡・北九州の八幡に、新たな世界を錬成し、新たな世紀を動かす、灼熱の炎が燃え始めた。
 この日、溶鉱炉に火入れが行われ、有名な「八幡製鉄所」の操業が開始されたのである。
 この真っ赤にたぎる溶鉱炉のなかから、近代化を急ぐ二十世紀の日本が、唸りをあげて回転していったといってよい。
 終止符を打つことのない、この怒濤のごとき作業に、敢然と立ち向かい、飛躍の戦いは始まった。
 「先駆」の二字は、北九州の歴史に、鋭く刻印されたのである。
 二〇〇一年の今、「戦争の世紀」の鞭を打つ悲鳴を超えて、人類は、「対話と共生の世紀」へ、「平和の世紀」へ、大きく舵を取り始めた。
 その時代建設の先駆として、熱血の魂と鋼鉄の信念で、生き生きと立ち上がったのが、わが北九州の同志である。
3  思えば、北九州は、初代会長・牧口先生、二代会長・戸田先生の有縁の天地である。
 幾度も、九州を訪問された牧口先生は、一九四〇年(昭和十五年)の十一月には、会員の指導と弘教の旅を、まず、門司の地から開始されている。
 そして、戸田先生も、五六年(同三十一年)の六月、八幡で渾身の指導会をもたれた。
 私自身、六〇年(同三十五年)の一月、小倉での福岡支部の爆発的な幹部会に出席して以来、幾度も、幾度も、黄金の歴史を刻んできた。
 なかでも、以前にも少し書いたが、七三年(同四十八年)の三月二十一日、北九州で開催された「第一回九州青年部総会」のことは、今も忘れられない。
 当時、学会は、いわゆる広布第二章の旅立ちに際し、苦難の雲の中を飛翔していた。
 その前途を照らす勇気と希望の光が、北九州から煌々と輝いたのであった。
 総会の前夜は雨であった。
 しかし、九州が一丸となった熱意を、諸天も嘉したかのように、開会直前には晴れ間が広がったのである。
 この日まで、九州の青年は、広布の先駆者たるべく、「一人立つ」学会精神を徹して学び、意気高く集ってきた。
 会場である新日鉄大谷体育館には、正面に「先駆」、後方に「団結」の二字が掲げられ、あちらこちらに「学会精神第一の北九州」「広布のたいまつは受け継いだ」など、思い思いの幟が揺れていた。
 打てば響くような、青年の熱と力が場内を包んでいた。どれほど嬉しかったことか!
 指導に立った私は、まず、当時の九州女子部長には「花束」を、また九州男子部長には、私の結んでいた「ネクタイ」を外し、記念に差し上げた。
 愛する青年に、「後継のバトン」を託す思いで。
 そして、ノーネクタイのままスピーチとなった。
 私は、「九州は日本の歴史の母である」と、その先駆の使命を語るとともに、大九州の永遠の勝利のために、「正信」「研鑽」「誠実」「品格」等の五項目を指導したのであった。

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