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日蓮大聖人・池田大作

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世界市民の都・シンガポール 新世紀に駆ける獅子に栄えあれ!

2000.11.27 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  それは、まさに「二十一世紀への旅」であった。
 十一月二十二日の夕刻、私は美しき「獅子の都」シンガポールのチャンギ空港に到着した。宿舎に着くと、銀の雨が天の調べを奏で、楽しく、賑やかに私たち一行を迎えてくれた。
 朝、雨上がりの街は、みずみずしい緑に包まれていた。
 椰子の葉を風が揺らし、ブーゲンビレアなど多彩な花々が、そこかしこに咲き誇っていた。
 発展する国を象徴するかのように林立する摩天楼。エネルギッシュな街の活気。ここには、常に、未来からの新鮮な風が吹き渡っている。
 今回の訪問は、五年ぶり三度目。創価学会創立七十周年を総仕上げし、いよいよ、「創価の世紀」の幕を開きゆく七十回目の平和旅を、私は、この愛するシンガポールから開始したのである。
 到着した明くる日の二十三日には、大統領官邸にナザン大統領を表敬した。
 続く二十四日には、オーストラリア最古の名門シドニー大学からの「名誉文学博士号」を、皆様の代表として、ここシンガポールで頂戴した。
 獅子の国の同志とともに、また、新しき黄金の歴史をつくりゆくことが、私は嬉しい。
2  本年は、私が世界平和への旅立ちをしてより、ちょうど四十周年にあたっている。
 そこで、少々、シンガポールの広布草創の歴史を記しておきたい。
 公式の訪問ではなかったが、初めてシンガポールに降り立ったのは、一九六一年の一月二十九日であった。
 日蓮大聖人の御予言であり、戸田先生の念願であった、「仏法西還」の歴史を開く、インド訪問の途次のことである。
 飛行機の給油のために立ち寄ったシンガポールの空港は、夜の帳に包まれ始めていた。空港の建物の窓から仰いだ星々が美しかった。
 しかし、この地を日本軍が侵略し、幾多の人びとの生命を奪い、苦しめ抜いてきた歴史を思うと、私の胸は、張り裂けんばかりに痛んだ。
 ″一人の日本人として、シンガポールの平和と人びとの幸福のために、生涯、献身し抜いていこう!″
 それが私の決意であった。
 そして、シンガポールの夜明けを開くために、「出でよ、地涌の菩薩よ! 集い来れ、使命の同志よ!」と、強き、深き祈りを捧げたのである。
3  シンガポールに最初の地区が結成されたのは、それから、約二年半後の六三年八月のことである。
 六五年の八月九日、シンガポールは国家として独立する。
 六七年六月には、後に理事長となる高健文こうけんぶん(コー・キエンブン)さんが地区部長に就任。
 シンガポール支部の誕生は、独立から四年後の六九年八月であった。
 初代の支部長・婦人部長は、仕事で駐在していた、日本人夫妻である。夫妻は、高さんとよく連携をとりながら、地道な粘り強い活動を進められた。
 資料によれば、七〇年一月には、シンガポールのメンバーは三百二十四世帯となっている。
 支部長夫妻は、この年の秋には日本に帰国されるが、今も東京・八王子の地で、副本部長、支部副婦人部長として元気に活躍されていると伺っている。
 一方、高さんは、クアラルンプール支部の支部長となって活動し、マレーシアの組織の礎を築かれた後、再び、この「獅子の都」で中心者として、友の幸福のために奔走してこられた。
 そして、七二年一月には、法人が設立された。
 その後、若獅子の青年たちが決然と立ち上がり、正義と勝利の歌を轟かせてきた。

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