Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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フランスの希望の歌声 もう! 人間勝利の凱旋門へ

2000.11.8 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  南仏・マルセイユの港が一望できる小高い丘に立った。
 一九八一年の六月九日。ちょうど正午であったと記憶する。
 コバルト色の海に浮かぶ小島が、強い日差しを浴びて、真っ白な光を放つ。元は砦として、後に監獄として使われた、堅牢な城塞の跡が見えた。
 その小さな島こそ、私が戸田先生と学んだ、大デュマの傑作『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』の舞台の一つ、シャトー・ディフであった。
 作品中、主人公の青年ダンテスが陰謀によって投獄されたのが、この島である。十四年後、彼は、自分を陥れた輩への復讐を誓い、島を脱出する。
2  わが師・戸田先生も、また、戦時中、軍部権力の弾圧によって牢につながれ、初代会長・牧口先生は冷たい牢獄で殉教なされた。
 生きて獄門を出た戸田先生は、先師を死に至らしめた権力の魔性に対する仇討ちを誓い、「妙法の巌窟王」として立ち上がられたのである。
 たとえ、牢に入ろうが、迫害があろうが、巌窟王のごとく、広宣流布のために絶対に退転しない! 一たび決めた誓いの道を歩み続ける――これが先生のお心であり、また、永遠に変わらぬ学会精神である。
 私は、地中海の潮風を受けながら、同行の友と、しばし師を偲んだのであった。
 マルセイユから、北東約三十キロのトレッツにある、欧州研修道場へ帰ると、大勢の地元の同志が待っておられた。
 画家セザンヌも愛した、あの雄々しきサント・ビクトワール(勝利山)が見つめる屋外で、記念のカメラに納まった。
 その時、全同志の勝利と栄光を祝福するかのように、大きな虹がかかった。皆が思わず打った拍手が、荘厳なる夕空にこだましていった。
3  翌日、私は、花の都のパリに入った。
 当時、日本の″宗門問題″の余波で、邪悪なデマが海外にも流されていた。もしも嘘に紛動される人がいたら、あまりにもかわいそうだ。
 正義は叫ばねばならぬ。
 真実は勝たねばならぬ。
 私は、友好文化祭など、記念の行事の合間を縫って、一対一の対話、少人数の懇談を重ね、仏法の正義を語りに語った。
 さらに、六月の十四日は、青年部の大会が行われることになっていた。
 私は、出席の予定はなかったが、創価の未来を切り開く彼らを見守り、なんとしても励ましたかった。
 当日、私は、パリの宿舎から地下鉄の駅に向かった。近郊のソー市にある、我らの会館に行くためであった。
 私は、駅のホームに立つと、電車を待ちながら、同行の友に言った。
 「さあ、書くよ!」
 口述で、青年たちに贈る詩を作ることにしたのだ。
 書き出しは決まった。
 「今 君達は
 万年への広宣流布という
 崇高にして偉大な運動の
 先駆として立った……」
 車中、私を見つけた一人の同志が、そっと、あいさつに来てくれた。作詩をいったんやめ、心から激励した。
 電車を乗り換えるために移動する時も、歩きながら口述を続け、詩を仕上げていった。
 会館に到着すると、出来上がった詩を翻訳に回した。″フランス広布の母″ウストン=ブラウンさんらが、見事なフランス語に彫琢してくださった。
 翻訳は会合が始まる直前に終了し、歴史的な大会の席上、発表されたのである。
 「今ここに 立ちたる青年の数二百名
 君達よ
 フランス広布第二幕の
 峰の頂上に立ちて
 高らかなるかっさいと
 凱歌をあげるのだ
 そのめざしゆく指標の日は
 西暦二〇〇一年六月十四日
 この日なりと――」(「我が愛する妙法のフランスの青年諸君に贈る」本全集第39巻収録)

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