Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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希望大陸オーストラリア 新千年の空に輝け 人間主義の旭日

2000.8.4 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  いよいよ、全世界が注目するなか、二十世紀最後の″シドニー・オリンピック″が近づいてきた。
 南半球では、メルボルン大会以来、四十四年ぶりのオリンピックである。
 寛容と多文化主義の国オーストラリアから、新たなる世紀の幕を開きゆけ! 平和の祭典の成功を、心より祈りたい。
 このシドニー五輪の競技会場となるオリンピック・パーク内に、昨年二月、わがオーストラリア文化会館が、晴れ晴れと誕生した。
2  一九六四年(昭和三十九年)、私がオーストラリアを訪問した時には、中心者のツトム・テイテイさんをはじめ十人に満たない、小さな小さなオーストラリア創価学会であった。
 しかし、私は、この国の平和と幸福を願い、″希望の大陸″初の支部(メルボルン支部)を結成したのである。
 あれから三十六年を経た今、オーストラリアは「五本部十八支部」という堂々の陣容に拡大した。尊き同志の皆様の、開拓と建設の苦闘に、感謝の思いでいっぱいである。
 現在、シドニー、メルボルン、ブリスベーンの三都市に、SGIの法城が厳として立っている。いずれも、かつて、私が足跡を刻んだ街であり、感慨も誠に深いものがある。
3  ところで、オーストラリア初の会館は、一九七七年に完成したシドニー会館であった。
 その管理者を務めてくださったのが、故マツヨ・ハンソンさん。オーストラリアの初代婦人部長として活躍された。
 六十三歳で亡くなられるまでの十年間、人材の城を守り抜いてくださった宝の人である。
 島根の出身のマツヨさんは、広島で軍人のハンソン氏と出会い、オーストラリアへ渡った。
 入会は、私の訪豪直後のことという。以来、病気がちな宿命と闘いながら、懸命に学会活動に励んでいった。
 婦人部の友が、マツヨさんに指導を求めて来ると、決まって御本尊に真剣な祈りを捧げる、婦人部長の″後ろ姿″を見ることになる。
 ″常に題目″が、彼女の信条であった。
 やがて唱題が終わり、温かな笑顔が振り向くと、「今日は、どうしたの」と、まず、じっくりと、悩める友の話に耳を傾けてくれた。同志は、その誠実な姿に、心から安心し、信頼を寄せていた。
 リーダーは、真剣に民衆の声を聞くことだ。
 「観音菩薩」には、「世音を観ずる」意義もある。徹して、友の声に、耳を澄ませることだ。まず「心の声を聞く」なかに、重要な菩薩行があることを忘れてはならない。
 マツヨさんは、決して多弁な指導者ではなかった。英語はもとより、日本語でも無口な方であったようだ。
 それでも、彼女の一言一言には、幾たびも病魔を克服してきた、信仰への確信みなぎる黄金の輝きがあった。
 「題目よ。題目をあげれば、絶対に大丈夫!」
 「明るく。とにかく、明るく進むのよ!」
 彼女の口癖である、その言葉を聞くころには、悩みに打ちひしがれていたメンバーも、戦う勇気がわき、胸を張って会館を後にするのであった。

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