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日蓮大聖人・池田大作

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月光の城 創価の道を照らせ 大月天子よ! 汝自身の宇宙に 満足の笑顔の光りを

2000.7.25 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  この七月十六日の夜半、二十世紀最後の、それはそれは見事な″天体ショー″である「皆既月食」を、妻と二人して見ることができた。
 皓々たる満月は午後九時前から欠け始め、名残惜しげに金の光を放ちながら、やがて完全に地球の影に入っていった。
 まだ富士山に雪が残っているころであれば、晴れた日には、白銀の王冠の頂が見える方角であろうか。
 この日は、私は、思い出深き山梨の地にいた。
 こんもりとした甲斐の山々の上空に、赤銅色を帯びた、生まれたばかりのような月が、まるで別世界の星のごとく浮かんでいた。
 再び月に光が戻るまで、実に一時間四十七分。これほど長時間の「皆既」は、今後、千年以上先までないともいわれる。
 時あたかも二〇〇〇年。まさに「千載一遇」の天空のドラマであったわけである。
 翌日も、みんな「いい満月だった」「すごい月食だった」と口々に言い合っていた。
 名月に出あう喜びは、どこか人生の大宝石を得た感激にも通じるようだ。
 日蓮大聖人は、最愛のわが子を亡くしたある夫妻に、山梨の地から御手紙を送られている。
 「あなた方ご夫妻に、もしものことがあるならば、暗い闇夜に皓々と月が出るように、妙法蓮華経の五字が月となって現れ、ご夫妻の行く手を照らすでしょう。
 そして、その月の中には、釈迦仏・十方の諸仏はもとより、先立たれたご子息も現れて、ご夫妻を導いていかれることを確信してください」(御書一三九七ページ、趣旨)と。
 大聖人の大慈大悲は、幾世を経ても変わらぬ、永遠の厳粛な月光のごとく、全人類の心を掃き清めていくかのように包んでくださる。
2  月光といえば、あの交野の関西創価学園で、わが子である生徒たちと共に、グラウンドに席をつくり、「月見の宴」を開いたことを、今もって忘れることはできない。
 一九八三年(昭和五十八年)の九月二十二日、全寮生・下宿生らとの、究極の父子の輪を結んだ一夜であった。
 前夜の雨雲も去り、一滴の露もない、さわやかな校庭であった。皆が楽しげに用意したススキの小径や萩の花までもが、多くの近づき来る足音を、静かに微笑んで迎えていた。
 皆はコオロギの演奏を聴きながら、大きな満月の昇るのを待っていた。
 しかし、なかなか、そのすばらしい笑顔は見えない。
 まさに、「山の端にいさよふ月をいつとかも我は待ち居らむ夜は更けにつつ」(『万葉集』伊藤博校注、角川文庫)と、万葉人に歌われたごとく、この夜は″十六夜の月″であった。
 静かに心地よい風が流れ、皆して盛んに喜びの雑談をしている時に、金色の燦爛たる「大月天子」が、群雲を従えながら現れたのである。
 生徒たちの大歓声は、大名優のごとく天空に舞い上がった満月の、明鏡の煌めきのなかに吸い込まれていった。
 この月光の輝きは、私たちの魂にまで光を与えてくれた。そして、活発な、活気ある自分自身を燃焼させ始めてくれた。
3  昔から、人びとには、この美しい月は、複雑な人生の心を浄化しゆく、新しい創造の美として映っていった。
 いにしえより、月は、人間の醜き汚辱や卑俗をうち消し、新しい生命の″おとぎの国″をつくってくれた。
 ある詩人は言った。
 ――この世に名月がなかったならば、どれほど侘しく、狂気と偽証の世界になっていたことか、と。
 その月は、また、人類の足跡が印された最初の星でもある。
 アメリカの有人宇宙船・アポロ十一号が、月面着陸に成功したのは、一九六九年(昭和四十四年)の七月であった。
 それは、人類の進歩の「偉大な一歩」であった。
 悠遠なる宇宙は、人間の無限の探求心を鼓舞してやまぬフロンティア(開拓最前線)だ。
 その「外なる宇宙」への遠征は、「内なる宇宙」にも目を開かせ、結果として、「全宇宙の中でもっとも神秘と驚異に充ちたものは人間の生命そのものであるということがいよいよ確実になるであろう」(『人間の選択』松田銑訳、角川書店)――と言われたのは、私の友人であったN・カズンズ氏である。
 月光は美しい。
 しかし、決して、この世の新しいものではない。
 賛美されていく栄耀の光をもつ月は、人間に対し――
 「人間よ! 汝自身の内なるフロンティアに挑戦せよ!」
 「人間よ! 最も善であり、最も価値のある、生きとし生ける証をもって、互いに照らし合え!」と。
 この呼びかけは、人類の永遠の歴史への記録となっていくことであろう。
 三十一年前、あのアポロ十一号が月に発射された直後の七月十七日、私は東京の創価学園の「第二回栄光祭」に出席し、学園生とともに、遥かな希望の未来へ旅立った。
 あの日、私たちが、再会を誓い合った「二〇〇一年七月十七日」も明年に迫った。
 二十一世紀の大宇宙に飛翔しゆく若き情熱の翼を、私はまぶしく見つめている。

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