Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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臆病と戦え 慢心を破れ! 仏法は永遠に「善」と「悪」の闘争、鋭く見抜け 退転・反逆の構図

2000.4.11 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  私たちの「五月三日」がやって来た。
 世界中の同志が胸を張り、歓喜に沸騰して迎えるこの日は、皆のいっさいの夢が成就し、千万の小さな太陽が勝ち誇ったように輝き渡る日である。
2  私たちは知っている。
 仏法とは、永遠に「仏」と「魔」の闘争であることを!
 広宣流布の歴史は、退転・反逆の徒との壮絶なる闘争であったことを!
 私たち門下は、峻厳に、これを受け止め、永遠に忘れることがあってはならない。
 卑怯者の畜生の弟子たちよ!
 仏法の厳しき因果を知れ!
3  それは日蓮大聖人の御在世のことである。
 親しく教えを受けながら、最後は裏切り、退転していった多くの門下たちがいた。
 少輔房、能登房、三位房、大田親昌、長崎時綱等々である。今でいえば、大幹部たちだといってよい。
 しかし、これらの、いわゆる卑劣な「師子身中の虫たち」も、初めから退転・反逆するつもりで信心していたわけではなかった。
 それでは、なぜ退転したのか。彼らは、なにゆえに師敵対をし、恩を仇で返したのか。
 ここで、私は、真実を映す、後世への「鏡」として、少々、述べ、残しておきたい。
 たとえば、日蓮門下の最優秀の一人であった三位房のことである。彼は、才知に富み、雄弁で、仏法の理解も優れた俊秀であった。今日の有名な大学出というところだろう。
 しかし、彼は、比叡山遊学中、貴族に招かれて説法したことを喜び、自慢げに大聖人に報告するなど、世間の名聞名利の風に吹かれ、流されゆく根性があった。つまり、見栄っ張りであった。
 大聖人は、その虚栄の心を、厳格に叱責されている。
 ――この仏法は、世界最高峰の法門ではないか。何も恐れるものはないはずである。それなのに、貴族に説法したぐらいで得意になるとは、日蓮を卑しんでいるのか、お前は――。
 それは、弟子への大きな期待のゆえでもあった。

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