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日蓮大聖人・池田大作

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歓びの福井の春 我らの郷土に昇れ 創価の太陽

2000.2.25 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  一九二九年(昭和四年)の秋深まる十月、ソ連(当時)のウラジオストクから、「天草丸」という連絡船が福井の敦賀港に入港した。
 乗客の一人に、やや大柄なロシア人女性がいた。アレクサンドラ・トルスタヤ――大文豪トルストイの末娘であった。
 彼女は二年近く日本に滞在し、講演などを通して、偉大な父の精神を紹介し続けた。
 ことに、日本で書いた回想記『トルストイの思ひ出』が出版されたのは、牧口先生と戸田先生の手で「創価教育学会」が誕生した二日後であった。
 ある時、彼女は語った。
 「私は、とても敦賀が好きです。本来の日本の保存されている敦賀が――」(「関東日日新聞」一九二九年十月二十五日付)
 その敦賀は、昨年、開港百年の黄金の歴史を刻んだ。今や、福井は、ロシア、韓・朝鮮半島、中国などを結ぶ、新たな日本海大交流の開かれた窓であり、焦点の国土となってきた。
 私も、心広々とする、福井の天地が大好きである。
2  今、ちょうど四十年前(一九六〇年=昭和三十五年)の二月の出来事を思い出す。
 その日、私は、金沢の大会に出席するため、京都から夜行列車に乗った。午前二時ごろであったか、列車が敦賀駅に滑り込むと、ホームに数十人の同志が待っておられたのである。
 前年の春、私は福井を初訪問していたが、同志は、さらに指導を求めて駆け付けてこられたようであった。
 停車時間は六、七分。私は、すぐにも皆の前に飛び出して、声をかけたかった。肩を抱いて励ましたかった。
 しかし、多くの乗客は既に眠っていた。時間が時間である。常識は守らねばならぬ。
 私は、断腸の思いで、列車の席に止まり、皆に自宅に帰っていただくよう同行の幹部に伝えてもらった。そして、福井の同志の成長と幸福を祈り、心で唱題したのであった。
3  「求道の福井」の同志との出会いは、私の胸から離れない。
 七二年(昭和四十七年)三月に行われた、春を呼ぶ記念撮影会もよく覚えている。
 会場の敦賀市立体育館では、有名な東尋坊の絶景に爛漫の桜をあしらったバックパネルが、私を迎えてくれた。その大絵巻以上に、参加三千五百人の笑顔は輝いていた。
 震災、水害、豪雪……戦後になってからも、幾度となく天災に遭いながら、たくましく復興してきた福井である。
 そのなかで、同志も、また、信頼の根を張り、深雪を踏み分けるように、創価の大道を広げてきたのである。
 私が最初に、「郷土のルネサンス」を訴えたのも、福井の地であった。わが福井よ、「日本一の幸福の春」に輝け! それが私の願いである。

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