Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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未来光る青森 広げよう! 青年の森 人材の森

1999.10.29 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  私は青年時代、大変に難解であったけれども、ダンテの『神曲』が好きであった。
 そのなかで、詩人はうたう。
 「語れ、語れ、恐るるなく」
 「立てた誓いには、信つらぬけ」(寿岳文章訳、集英社)
2  ちょうど二十年前の、一九七九年(昭和五十四年)一月――私が会長を退く三カ月前のことである。新築された青森文化会館には、初訪問であった。純白の雪化粧をして美しく光っていた。
 滞在二日目(十四日)は、青森県と秋田県の合同の幹部会であった。
 哀しげな鉛色の空から降りしきる雪をものともせず、わが同志は、胸を張りながら、喜び勇んで参集して来られた。
 誇り高き勇者の大行進を、私は忘れることができない。
3  この新しき会館の前庭には、頼もしき高等部員の有志がつくってくれたオオハクチョウの立派な雪像が、純白の翼を広げていた。
 その日、すばらしい白鳥の翼がめざしゆく、すばらしい高等部員の未来を考え、初めて「青森未来会」一期生の発足がなされた。
 その喜びの結成式のさなか、瞳を輝かせた青年たちが、雪の光を浴びながら、私のところに駆けつけてきた。
 青森県の北東部、津軽海峡に突き出た下北半島で活躍している、若き友であった。
 「よく来たねえ! 十年間、孤独に負けずによく戦った。
 諸天善神の軍配は、君たちに上がった」
 ――十年前、この「下北」の中等部の友から、陸奥湾を背景に皆で撮った、記念の写真が届けられたのである。
 私は、即座に、自分のもっていた一冊の本に、こう揮毫して、代表に贈った。「下北の中等部員の成長と栄光をぼくはいつも祈ろう。此の写真の友と十年後に必ず会おう」と。
 以来、絶対に弱音を吐かない鳳雛たちは「十年後」を希望とし、誓いとして、互いに励まし合い、切磋琢磨してきたのであった。
 誓いは果たしてこそ、誓いである。十年、二十年単位で見ていかなければ、人間の本当の勝負はわからない。
 また、人材の大樹も、それぐらい辛抱強く見なければ、育てることはできない。
 私は言った。
 「君たちは勝ったんだ」
 ――たとえ、石を強く投げられても、疲れ果てても、激しく非難されても、自分の決意を忘れゆく弱気の人たちと妥協する心が起こっても、最後は、それらをはねのけて誓いを達成した。人間にとっての最高の勝利の君たちだ!
 十年前、この下北の中等部の責任者であった女性も一緒に来てくださった。
 彼女は、今、婦人部の立派な幹部として、さらに保育園の園長として、生き生きと活躍しておられる。また、「下北会」と命名された青年たちも、壮年部、婦人部となった今なお、折々に集っては、未来を語り合い、励まし合って、希望の人生という温かい幸福な呼吸をしているようだ。
 使命のない人はいない。誰もが、その人でなければならない使命をもっている。
 ともあれ、皆が人材である。
 皆が広宣流布の宝である。
 人を愛し、人を育てる、その献身ありてこそ、創価の大河も恒久化できるのだ。
 「生きて行く途中で、血の一滴一滴をたらして、他の人を育てるのは、自分が痩せ衰えるのが自覚されても、楽しいことである」(石一歌『魯迅の生涯』金子二郎・大原信一訳〈東方書店〉の中で紹介)とは、中国の文豪・魯迅の至言である。

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