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日蓮大聖人・池田大作

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「7・17」の誓い 「正義は必ず勝つ」を断じて証明

1999.7.14 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  ギリシャの哲人プラトンの、有名な『ソクラテスの弁明』のなかに、師・ソクラテスの言葉が記されている。
 「もしわたしが、罪を着せられるとすれば、(中略)多くの人たちの中傷と嫉妬が、そうするのです。まさにそれこそが、他にも多くのすぐれた善き人たちを罪に陥したものなのでして、これからもまた罪を負わせることになるでしょう」(田中美知太郎訳、『プラトン全集』1所収、岩波書店)
 いうまでもなく、ソクラテスは、当時の権力者たちによって、罪なき身でありながら、罪人にされ、独房に入れられ、死刑になった。
 よく戸田先生も、「歴史上、嫉妬・中傷する人間が、いかに多くの『正義の人』を苦しめてきたことか。これが現実だ」と厳しく指摘しておられた。
 大聖人も、御自身の流罪・死罪の大難は、悪人の「讒言」によるものであると仰せである。(「讒言を企てて余が口を塞がんとはげみしなり」、「国主も讒言を収て流罪し頸にも及ばんずらん」等)
 つまり、大聖人をただ陥れるために、嫉妬によってデッチ上げられた罪であり、あまりにもむごい刑であった。
2  皆様方もご存じの通り、私が大阪府警に出頭し、選挙違反の容疑で逮捕されたのは、一九五七年(昭和三十二年)の「七月三日」であり、出獄したのが「七月十七日」である。
 特に、十七日のその日は、大阪拘置所の独房にいた私の耳にも、朝から、わが同志である音楽隊の勇壮なる学会歌の調べが聞こえた。
 正午過ぎ、私は釈放された。
 拘置所の鉄の扉の前には、数百人もの同志が、私を待っていてくれた。
 私が外に出ると、拍手がわき起こった。照りつける夏の太陽がまぶしかった。
 「ありがとう! ご心配をおかけしました。私は、このように元気です!」
 すると、誰からともなく、「万歳!」の声があがり、やがて皆の喜びの唱和となった。私の投獄を、わがことのように心配し、悲しみ、憤った、関西の同志たち。私は、その真心への感謝を、絶対に一生涯忘れることはないだろう。
3  この日の夕刻には、堂島川を挟んで、大阪地検のある建物の対岸に建つ、中之島の中央公会堂で、大阪大会が行われることになっていた。大阪府警、並びに大阪地検への抗議集会である。
 私は、東京から来られる戸田先生を、お迎えするため、直ちに空港に向かった。七月三日以来、二週間ぶりにお会いした先生は、さらに憔悴しておられ、胸を突かれた。しかし、先生は、にっこりとして言われた。
 「戦いはこれからだよ。御本尊様は、すべてわかっていらっしゃる。勝負は裁判だ。裁判長はかならずわかるはずだ」
 未来を予見されたかのような、確信に満ち満ちた言葉であった。
 一方、この日の夕刊は、小さな記事で、大阪地検が私を「処分未定のまま釈放した」とし、「同地検では起訴はまぬがれないとみている」と伝えていた。

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