Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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正義と団結の城・愛媛 「広宣流布の王国」の新たな夜明け

1999.7.10 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  夜空を見上げれば、立派な星がたくさんある。
 同じく、学会には、星の光がきらめき踊るように、若き人材がたくさんいる。
 私は、七年ぶりに、愛媛の人材の城をめざして走った。
 愛媛の友が、散々、悪心の人間たちから、悪口され、いじめられていたことも、胸に響いて痛かったのである。
2  私は、松山にある愛媛文化会館(現・松山文化会館)を出発した。
 松山から伊予郡を通り、山間やまあいの曲がりくねった道を駆けて、二時間近く――。ようやく、めざす南予の大洲に到着した。
 その日、一九八五年(昭和六十年)の二月四日。
 大切な、わが家族である同志たちは、喜々として待っていてくださった。
 わずか六十畳ほどの小さな大洲会館は、地元・大洲をはじめ、八幡浜、東宇和、宇和島など、南予の友の笑顔でいっぱいだった。
 空は晴れていた。
 二月初旬にしては、暖かい、春の陽気であった。
 特に、この大洲の地域は、四国で最も早く、宗門の邪悪な坊主によって、純心純朴なる学会員が理不尽な嫉妬の迫害にさらされていたのである。
 愛媛の方々は、あまりにも人が好い。
 欺瞞の聖職者は、あろうことか、その善良な心を踏み躙り、苦しめ抜いたのだ。
 私との勤行が始まると、あちこちから、嗚咽が漏れた。
 正義は必ず勝つ、必ず証明されると信じて、耐えに耐えた、悪と戦った日々であった。
 今、その時が来た。
 「仏法は勝負です。皆様は勝ちました!」
 私の宣言に応え、天高く轟き渡った友の歓声と涙の笑顔は、今も、わが生命に焼きついている。
3  会合を終え、私は、真っすぐに、この地の功労者である、坂本キヌエさん、子息の行宣さんのお宅に向かった。
 実は、家具店を営む坂本宅のすぐ隣が、長年にわたる学会攻撃の張本人の寺であった。
 どれほど悔しい思いをされ、どれほど憤怒の血涙を流してこられたことか。
 三障四魔という仏法に説く嵐のなかで、坂本さんの一家は、正義の柱として同志を守り、厳然と戦い続けたのだ。
 「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし
 私は、″師子″のごとく、疾風のごとく馳せ参じ、健気なる母、″転輪会″の一員として戦い抜いてきた子息をはじめ、三代にわたるご家族の方々と語りに語り、沸き立つ熱湯のごとき心の交流をした。
 「そうそう……」
 私の妻が、こんなことを漏らした。
 「東京を出る時、二人して、五百軒目の家庭訪問は、どこのお宅になるでしょうかね、と話していたんですよ」

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