Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

昭和54年5月3日 獅子となりて 我は一人征く

1999.5.1 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  その日は、雲一つない″五月晴れ″であった。
 武蔵野の丘は、生命と青春を飾りゆくように、ツツジの花に包まれていた。
 その花々の彼方は、大きな真実の沈黙を漂わせた、新緑に輝いていた。
 妻が、まぶしそうに言った。
 「まるで、十九年前と同じ天気ですね……」
 ――確かに一九六〇年(昭和三十五年)、私が第三代会長に就任した日も、快晴であった。
 その日の夜、大田区の小さな貧しい家で、二人して夜空を仰ぎ、「あの星は、ホタルが輝いているように見える」と語り合ったことを思い出す。
 この十九年間、絶望の闇を切り開き、無限の平和の大帝国を建設するために、わが死闘は続いた。
2  一九七九年、すなわち昭和五十四年の五月三日――。
 間もなく、創価大学の体育館で、″七つの鐘″の総仕上げを記念する、第四十回の本部総会が行われることになっていた。本来ならば、その日は、私は、偉大なる広宣流布のメッセージを携えて、創価の栄光を祝賀する日であった。
 すべての同志が熱意に燃えて、楽しき次の目標をもち、至高の光を胸に抱きながら迎えゆく、歓喜の日であった。
 尊い広布の英雄たちが微笑をたたえ、共々に、珠玉の杯を交わしながら祝うべき日であり、大勝利の鐘を自由に打ち鳴らす日であった。
 しかし、嫉妬に狂った宗門をはじめ、邪悪な退転者等の闇の阿修羅が、この祝賀の集いを奪い去っていったのである。
3  午後二時から始まる総会の開会前であった。
 妬みと滅びゆく瞋恚の魂をもった坊主を乗せたバスが、大学に到着すると、私は、ドアの前に立ち、礼儀を尽くして、彼らに挨拶した。
 ところが、坊主たちは、挨拶一つ、会釈一つ返すわけでもなく、冷酷な無表情で、傲然と通り過ぎていった。
 学会伝統の総会も、いつものように、学会らしい弾けるような喜びも、勢いもなく、宗門の″衣の権威″の監視下、管理下に置かれたような、異様な雰囲気であった。
 「冷たい墓石の上に座らされたような会合であった」と、ある幹部が後で言っていた。激怒した声が多々あった。

1
1