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日蓮大聖人・池田大作

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民衆の勝利の都・大東京 創価の栄冠へ! 本陣の大使命

1999.4.15 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  「私たちは、試練を、新しい善の力に転化することができるのです」(『私の宗教』岩橋武夫・島史也・荻野目博道訳、『ヘレン・ケラー全集』三省堂)
 これは、アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの言葉である。まったく、その通りであると思う。
 また、フランスの有名な作家、アンドレ・ジッドは次のような趣旨の言葉を述べている。
 ――はやる心で、いや、動かぬ忍耐で、君自身を、誰よりもかけがえのない一個の人間として作り上げたまえ、と。
 結論していえば、人間革命である。
2  やがて、襲いかかるであろう、暗き戦争へ突入しゆく一九三〇年(昭和五年)の十一月十八日。
 この日、牧口常三郎と戸田城聖の師弟によって、創価学会は、東京の地に誕生したのである。つまり、世界の広宣流布の発信地は、東京であったことは、将来の歴史家たちが声高く書き留めるにちがいない。
 創価学会の創始者である牧口先生の殉教も、東京であった。
 さらに、直弟子たる戸田城聖が、その師の仇討ちを誓い、敗戦の焦土のなかから一人立ちて、戦闘を始めたのも東京であった。
 そして、私の五十年間にわたる広布の大法戦の拠点も、ここ東京であった。
 すなわち、東京は、創価の源流である。
 東京は、広宣流布の出発点である。
 そして東京は、師弟共戦の発火点である。
 ゆえに、東京は、断じて勝たねばならぬ。
 その宿命と責務がある。
 なんと誉れ高き東京よ!
 なんと重要な命運を担った東京か!
3  第二代戸田城聖会長が、会長就任の儀式の時に、自己の決意と広宣流布への宣誓の意義を含めて、七十五万世帯の折伏の断行を宣言した。
 しかし、学会の広布への前進は遅々として、なかなか戸田の思うようにいかなかった。
 戸田城聖は、鋭い指揮の棒を、一段と高く、彼方をめざして振るい始めた。
 「これでは、とうてい七十五万世帯はできない。
 大作、私に代わって、広宣流布の折伏闘争の先頭に立ってくれ!」と。
 私は、蒲田支部での初陣に続き、一九五三年(昭和二十八年)の春、沈滞、低迷していた文京支部に、支部長代理という立場で、馳せ参じた。
 文京の首脳一家である、人柄のよい、田中正一さんのお宅に初めて伺った折のことも、今もって懐かしい。
 その日は、忘れ得ぬ四月二十五日である。

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