Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界の人々の故郷・北海道 おお、無名の英雄の″開拓魂″の声よ!

1999.2.3 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  北海道と私は一つだ。常に広き曠野が、私の胸を走る。
 凍りついた大地を、わが友が、いつも苦しみを歓喜の劇に変えながら、そして使命と喜びの杯を交わしながら、歩みゆく姿を思う時、熱い活発な魂が、私の胸に躍る。
2  四十年前のあの日も、北海の大地は美しく、雄大であった。
 朝、小樽を出て、約五時間。見渡す限り、白銀の雪景色を見つめながら、私は初めての旭川訪問の第一歩を印した。
 一九五九年(昭和三十四年)の一月十六日のことである。
 戸田先生の逝去から初めて迎えた新年でもある。私は、恩師の故郷・北海道を舞台に、自分の心の重きを置くことを、決意していた。過去の悲しみから、未来の太陽と月と星を友としながら、北海道をめざした。
 初めて下車する旭川は、東京育ちの私には″寒い″というより、″痛い″と感じられた。しかし、迎えてくれた友の心は、太陽のように輝いていた。
 私は、その指導会に直行した。そこには、稚内や網走、北見、紋別、留萌などからも、同志が来ておられたからである。その大切な、尊敬する友のために、少しでも早く、お目にかかりたかったのである。
 会場に入り切れなかった男女青年部は、雪の舞う窓外で、私の話を聞いてくれた。
 突然、屋根の雪が頭に落ちても、身動ぎもせず、求道の炎を燃やしていたと後から伺って、合掌する思いであった。
 ――北海道へ発つ前、ある幹部が「もっと暖かい時に行かれたらいいのに」と、つぶやいた。その声の響きは、批判的なものさえ、感じられた。有名大学出身の、要領のいい幹部であったと記憶する。
 「幹部が、率先して一番困難なところにあたるのだ。法華経は″冬の信心″ではないか!」
 最も厳しい場所で戦い、そこで勝ってこそ、真実の広宣流布の実像がある。
 そして、苦難の吹雪のなか、健気に頑張っている人を、仏と思い、菩薩と尊敬し、励ましてこそ、真実の同志である。
 この厳冬の旅では、私は、小樽、夕張、札幌と、戸田先生とともに戦った″古戦場″も回った。同志と、ともに歌を歌い、わが兄弟の青春を燃やして歩んだ、懐かしき園の道を、胸を張って進んだ。
3  北海道は、牧口先生、戸田先生の宿縁深厚の天地である。
 そして、私が、北海道を初訪問した一九五四年(昭和二十九年)の夏から、今年(一九九九年=平成十一年)でちょうど四十五周年になる。
 ともあれ、戸田先生の故郷の厚田村にお供させていただいたことは、一生涯、忘れることはできない。
 あの日、私は一人、厚田の海岸に立ち、海を見つめながら、アジア、そして世界の妙法流布の、喜びと苦しみの交差した旅路の夢を呼吸したのであった。

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