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日蓮大聖人・池田大作

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中国京劇団 ″芸術の宝″は鍛錬で光り輝く

1999.1.27 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  自在なる″天の舞″
 絢爛たる″人の華″
 「中国京劇団」の民音公演が、各地で大変な好評を博している。
 どの会場でも、万雷の拍手と喝采に包まれ、中国の建国五十周年を記念するにふさわしい、黄金の大舞台であると、絶賛されている。本当に私は嬉しい。
 一月十八日、私も、方傑ほうけつ団長(中国芸術祭基金会副会長)をはじめ代表の方々と、京劇の魅力と精神を縦横に語り合った。
 役者の皆さんは、実に、誠実な顔をしておられる。声一つ、振る舞い一つにも、美しき花があり、勇舞の風格があられる。
 平服の姿のなかにも、芸術の滴る血が流れ、芸術の魂の宝光を放つ人格があった。
2  京劇は俳優が命とされ、その修業は、言語に絶する厳しさといわれる。
 あの名優中の名優・梅蘭芳メイランファン先生が、修業の道に入ったのは、七、八歳のことであった。
 祖父も、父も、既に名優として知られていた。ところが、その血を引いた少年は、最初は、まったく不器用で、芸の覚えが悪く、教師が匙を投げたほどであったようだ。
 しかし、少年は必死だった。彼は、新しい別の教師につくと、毎日、夜明け前に起きて、うら寂しい城壁に行っては、師の叱咤のもと、懸命に発声の練習を重ねていったという。
 家に戻れば、歩く姿勢など、京劇の基本動作を、一から徹底して叩き込まれたとも伺った。
 やがて、生命の火と燃える花の唇からは、「大空につきとおるような声」とも評された天使の美声が生まれたのである。
 一九五六年(昭和三十一年)、梅蘭芳先生にとって、最後となった来日公演の団員の一人に、現在の中国京劇界の大御所である、袁世海えんせいかい氏がおられる。今回、来日された袁小海えんしょうかい氏はご子息で、「三国志」の関羽役の名優でもある。
 私も先日、お会いしたが、″親子二代″にわたる日中友好の舞台ということになる。
 約七十年前になるが、父君の袁世海氏もまた、十歳位から京劇俳優の養成学校に入り、早朝から夜十時まで、厳しい稽古に明け暮れたそうだ。
 当然、今と状況は異なっているが、京劇の″芸術王たち″の人生は、「艱難、汝を玉にす」との、永遠の真理を教えてくれているのではないだろうか。
3  私が初めて中国を訪問して、日中友好の″金の橋″を築き始めて、本年で二十五周年となる。
 これまで、私たちが中国からお迎えした、芸術の戴冠の王たる″文化大使″は数多い。
 中国北京芸術団(七五年)、中国上海京劇団(七六年)、「シルクロード音楽の旅」シリーズ(第一回は七九年)、北京人民芸術劇院(八三年、九〇年)、上海人民芸術劇院(八五年)、東方歌舞団(九一年、九三年)、雲南歌舞団(九五年)、中国新輝芸術団(九六年)、中国放送民族楽団(九七年)、中国中央民族歌舞団(九八年)――などの公演である。

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