Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宗教革命の旭日 創価の空に響け″歓喜の歌″

1998.12.23 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  「第九」――。
 それは、「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」と叫んだ、楽聖ベートーベンの心の雷鳴である。
 万人を兄弟として結び合う、気高き永久の賛歌であり、たくましき民衆の凱歌である。
 十二月十二日、伝統の創価大学の「第九」の演奏会を、今年もまた鑑賞させていただいた。
 一九九〇年(平成二年)十月三日の、あの忍苦より勝ち取った、東西ドイツの統一を祝い、勝利の歌として演奏された曲も、この「交響曲第九番」であった。
2  「第九」の「歓喜の歌」を、ドイツ語で歌うことは、「外道礼讃」であり、キリスト教の礼讃である――日蓮正宗の宗務院から、「お尋ね」と題するこんな文書が、学会本部に送られてきたのは、そのドイツ統一の年の十二月半ばのことであった。
 本部幹部会で、私が「歓喜の歌」を大合唱していこうと提案したことへのクレームである。
 この「お尋ね」は、言ってもいないことを言ったとして難詰するなど、強引に、私に、「謗法」「法主誹謗」のレッテルを張ろうとするものであった。
 学会は、対話を求めたが、彼らは、卑しく、深く隠れて、それには応じなかった。
 そして、年末、宗規の変更を理由に、突如、私の、信徒の代表である法華講総講頭を罷免したのである。
 彼らの狙いは明白であった。
 私を切り捨て、学会を壊滅させ、宗門の衣の下に、会員を、奴隷のごとく服従させることにあった。
3  日顕宗では、法主と大御本尊は「不二の尊体」などと、およそ日蓮大聖人の教えとは異なる邪義を振りかざしていった。
 法主を頂点として、僧侶を「上」、信徒は「下」とする支配関係をつくり上げようと画策していたのである。
 それは、「皆宝塔」「皆仏子」との、人間の尊厳と平等の原理を示された、大聖人の正法正義を破壊するものであった。
 また、人間性の発露である芸術・文化を色分けし、差別することは、あのナチスが行った愚行と同じであり、人間性そのものを否定する″火刑″でもあった。
 これらを放置しておけば、日蓮仏法は、人間の抑圧のための幻怪の宗教になる。
 しかも、法主日顕による禅寺の墓の建立をはじめ、宗門のおびただしい謗法行為、葬儀や塔婆供養をめぐる金儲け主義、遊興等の腐敗・堕落の実態が、次々と明らかになっていった。
 日蓮仏法の正義が、踏みにじられていくことは、広宣流布のために、絶対に許せない。
 世界の民衆のため、人間のための仏法である。大聖人の大精神を守れ!
 私たちは、決然と立った。ここに、宗教革命の新しき旭日は昇った。

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