Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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会場提供者に感謝 三世に輝く「福徳の大宮殿」

1998.12.16 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  今年もまた、新しき人間主義の波が、広く社会を潤した、大勝利の一年であった。
 その運動の源泉となってきたのが、″生命のオアシス″ともいうべき座談会であった。
 私は、この″金の家″″銀の家″の、会場提供者の皆様に、心より御礼申し上げたい。
 わが家を、会場として提供してくださる方々のご苦労は、筆舌に尽くしがたい。
 駐車や駐輪、勤行や学会歌の声の響きなど、ご近所への気遣いも容易ではない。
 また、ご家族みんなの理解と協力が必要である。
 参加者を温かい笑顔で迎え、様々な配慮をしてくださる提供者の皆様方を、諸仏諸天も、大讃歎されているにちがいない。
2  小説『新・人間革命』第六巻「加速」の章では、福岡の″ドカン″地域と呼ばれた一帯を舞台に、庶民の蘇生のドラマをつづった。
 掘っ建て小屋のような家がひしめき合うこの地域でも、力強く、座談会が開かれていた。
 会場提供者は、倉庫を改造した家に住み、細々と鮮魚店を営んでいた班長ご夫妻。
 来る人の大半は裸足であり、畳は取り替えても、すぐに泥まみれになった。しかし、このご夫妻は、文句一つ言わず、同志のために尽くし抜いてくださった。
 三度の食事にも事欠く人のために、魚のあらを煮ては振る舞い、風呂までも勧めた。
 ″ドカン″のメンバーのなかで、最初に自分の家を持ったのが、この夫妻であった。
 皆が「御殿が建った」と、わが事のように喜んでくれた。なかでも、「あんたの家で座談会を開いてくれたお陰で、信心に励み、生き抜くことができた。本当にありがとう」との言葉が、忘れることができないという。
3  法華経の随喜功徳品には、仏法の話をしている会場で、座を詰めて座らせてあげるだけで、功徳があると説かれている。
 ましてや、会場自体を提供してくださる功徳は、無量無辺であると言ってよい。
 山梨県・石和いさわ町の笛吹川沿いに建つ個人会館の提供者・中川千恵子さんも、その功徳を実感されているお一人である。
 中川さんのご主人の公之甫さん(故人)は、戦後、衣類の行商から身を起こし、衣料品店を営むまでになるが、病に倒れ、生活は困窮を極める。
 夫妻は、一九六一年(昭和三十六年)に入会。以来、座談会の会場として自宅を提供し、弘教も毎月、実らせていった。
 ご主人も健康になり、商売も着実に軌道に乗っていった。
 六七年(同四十二年)、私は中川さんのお宅を訪問した。
 「誰よりも、幸せになってください」
 こう申し上げると、目を潤ませ、地域広布への誓いを語っておられた。この時、地域に広布の波動を広げるために、皆が気がねなく、自由に使える、個人会館を建てようと決意されたそうである。
 学会に何かしてもらうのではない。学会のために何をするかである――それが、ご夫妻の決意であり、哲学であった。
 二人は懸命に働き、真剣に祈った。
 そして、訪問から十五年後の八二年(同五十七年)、三百五十人が集える個人会館を建設。見事に決意を実現された。
 ご主人は、その後も、病を乗り越えるなど、信心の実証を示され、今から八年前に、八十一歳で亡くなられている。
 千恵子さんは、八十四歳になるが、矍鑠かくしゃくとして会場を守り、幸せを満喫しながら、後輩たちの激励にあたっておられる。
 この十月、私は、長年の献身に対する感謝の意を込め、句を贈らせていただいた。
 「幸薫れ 笛吹川の 中川城」

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