Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大学講演 精神の″絹の道″で世界を結べ

1998.12.9 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  早いもので、もう四半世紀も前のことになる。
 一九七四年の、きらめく春の光に包まれたその日、私は、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のディクソン講堂の壇上にいた。
 大学の招きを受け、「二十一世紀への提言」と題して、講演を行うためである。
 四月一日の午後――日本では二日の朝。わが師・戸田先生の祥月命日にあたる日である。
 先生逝いて十六年。弟子・池田大作、四十六歳。
 世界の平和を念願され、人類の心に「平和の砦」を築かんと戦い抜かれた、わが師の心を抱き締めて、私は、この日、二十一世紀を「ヒューマニティーの世紀に」と語った。
 これが、私が世界の″知性の殿堂″で行った講演の、第一号となったのである。
2  二回目の講演は、翌年五月、緑がまばゆい、ソ連(当時)のモスクワ大学であった。
 この時、授与された名誉博士号は、私の海外初の名誉学位記となった。
 記念講演の演題は、「東西文化交流の新しい道」。
 当時、東西冷戦の氷壁は厚く、根深い不信と、猜疑の溝が横たわっていた。
 この氷壁をとかす道は何か。私の結論は、イデオロギーの壁を超えた、文化の交流、人間と人間の交流しかないということであった。「精神のシルクロード」をつくることだ。
 私は、その突破口を開きたいと、大学の文化宮殿を埋めた、約千人の聴衆の一人ひとりと対話する思いで、生命を振り絞って訴えたことが忘れられない。
3  この講演の通訳を務めてくださったのが、ストリジャック先生であった。
 私の拙い原稿を完璧なロシア語にするために、夜を徹して、翻訳された。しかも、疲労の極にありながら、本番でも、毅然と通訳してくださった。
 あとで知ったことであるが、万が一、疲労の余り、通訳が続けられなくなった時の補助者として、教え子の一学生を壇上に座らせておられたという。
 なお、この学生も含め、モスクワ大学での最初の講演を聴いた学生のなかから、今日、日露友好の第一線で活躍する方が何人も出ている。

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